古松崇志『草原の制覇』を読む

 古松崇志『草原の制覇』(岩波新書)を読む。副題が「大モンゴルまで」で、「シリーズ 中国の歴史」の第3巻。この巻は「外から絶えず影響を及ぼし、ついに中国と一体となる草原世界を論じる」とあり、2世紀から13世紀の中国の中原と草原の歴史を描いている。同時期の江南については第2巻の『江南の発展』で取りあげていた。中原では五胡~北魏~隋~唐~五代~北宋~金と辿られ、草原では鮮卑突厥ウイグル契丹女真~モンゴルと辿られて、元による草原と中原、江南の統一でこの巻が終わる。

 今まで読んできた中国史は中原と江南が主体だったのに、本書は中央ユーラシア史と中国史をひとつの視点で捉えるユーラシア東方史という枠組みで語っている。それがとても新鮮で興味深いものだった。今まで読んできた中国史が、中国を侵略する遊牧民国家という視点だったのが、その遊牧民を主役に取り上げている。

 また新書1冊という短い書物で10世紀余が語られていて、動画の早送りを見るように戦争が繰り返され、国家が次々に代わっていくことを改めて教えられる。まさに古代から際限なく戦いを繰り返す人間のほとんど本質というような攻撃性に今更ながらため息をつかざるを得なかった。

 契丹モンゴル高原の東南部、大興安嶺山脈南麓の草原地帯を根拠地とする遊牧集団であった。契丹人自身は、のちに建国の過程で、かつてモンゴル高原に大帝国を築いた鮮卑の檀石槐の後裔であることを標榜している。6世紀後半に突厥が強大になると、契丹突厥に服属するが、7世紀前半に唐が突厥を滅ぼしてユーラシア東方に覇をとなえると唐の支配下に組み込まれた。安禄山の乱後、契丹ウイグルに服属する。このように契丹は、ユーラシア東方情勢の変転に応じて、強力な政権のあいだで揺れ動いた。契丹の建国者耶律阿保機契丹の実質的な軍事指導者として頭角を現す。ついに907年阿保機はカガン(可汗)の位に即く。漢語で「天皇帝」を称したというが、おそらく契丹語で「テングリ=カガン」と称したのを意訳したのだろう。このとき事実上契丹国が建国された。

 このように中国周辺で様々な王朝が生まれ、様々な王の位が自称されたのだろう。