倉本一宏『戦争の古代日本史』を読む

   

 倉本一宏『戦争の古代日本史』(講談社現代新書)を読む。磯田道史毎日新聞で紹介していた(6月18日)。その書評の末尾。

 本書は、現代の日本と朝鮮半島の複雑な関係の淵源を古代までさかのぼって丁寧に論じ、説明してくれる。古代からそこそこの大国であった日本が、「東夷の小帝国」として中国風に周辺国に優越意識を持つ。新羅との敵対関係から朝鮮への敵国視がうまれ、平安期には対新羅から日本を神国とみなす思想も生じる。一方、朝鮮は「『大国』意識をふりかざす倭国(日本)」に反発・迎合・無視の態度をとってきた。朝鮮は中国の「文明」秩序(冊封)内、日本はその外にあったから朝鮮は日本を「自己の下位に認識していた可能性も高い」。ところが、その日本が近代に朝鮮の宗主国になってしまった。当然、関係は複雑化する。どのような民族的思考に、自己がとらわれているかを知るのが平和への近道。本書は、古代以来の政治外交の優れた「棋譜」である。中国語・韓国語への翻訳をぜひ望む。

 教えられることの多いとても有意義な読書だった。ただ、古田武彦門下生である私には日本の古代史を綴る下りは納得できないことが多かった。とくに白村江の戦いについては、古田武彦は唐・新羅連合軍と九州王朝との戦いで、九州王朝が敗れたために戦争に参加しなかった近畿王朝が漁夫の利を得たという主張なので最も違和感があった。
 それにしても平安時代貞観や寛平のときの、新羅の海賊というか武装集団の九州への来寇に対する支配層たる貴族たちの対応の危機感のなさにはあきれてしまう。藤原道長の時代にも「刀伊(とい)の入寇」という大事件があった。刀伊とは東夷のこと、ツングース系民族を指している。賊たちは多数の舟でやってきて、壱岐対馬を始め北部九州を荒らしまわり、殺害された者365人、拉致されたのが1,289人だった。大宰府などの在地系の武士たちによってようやく撃退した。ところがその活躍に対して公卿たちの評価はあきれるばかりで、勅符が未だ到らない前に勲功を立ててしまったから行賞は必要ないなどというものだった。さすがにそれは反対意見によって否定され、行賞はされたが大したことはなかったという。倉本が書く。この時に来襲したのが刀伊であったから幸いだったが、もし平安貴族の時代にモンゴルが来襲していたとしたら、とてもこれを撃退することはできず、日本列島はモンゴルによって苦もなく占領されていたことであろう、と。
 その蒙古襲来についても倉本は冷静に書く。

 実際には、文永合戦の際にはモンゴル軍はすでに撤退をはじめていて、しかも彼らを襲ったのはただの突風であったに過ぎないのであるし、弘安合戦では、あの季節に3カ月も海上にいれば、いずれ大きな台風に襲われることは、考えてみれば当然のことであった。
 しかし、異端調伏にあたった寺社勢力はこれを自らの祈祷の効験による「神風」であると宣伝した。やがてその思想が日本全国に蔓延し、近代を迎えることになる。

 近代の日本人は、日本は中華帝国よりは下位だが、朝鮮諸国よりは上位に属し、蕃国を支配する小帝国であると主張した。その根拠も歴史的に存在したと、倉本が列挙する理由には教えられた。そんな間違った思い込みがいまだに日朝(日韓)関係を規定しているということだ。とても有意義な読書だった。