高橋秀美『はい、泳げません』を読む

 高橋秀美『はい、泳げません』(新潮社)を読む。成毛眞が『面白い本』(岩波新書)で次のように書いていた。

 『はい、泳げません』(高橋秀美著=新潮文庫)は間違いなく大爆笑してしまうので、電車の中で読むと大変なことになる。
 本書は、エンタメ系ノンフィクション界ではイチオシの作家である高橋秀美が、身をもって体験した水泳教室の一部始終が書かれている。
 著者のカナズチ歴は40年、半世紀近くも水と仲良くなれなかった人である。そんな人が泳ごうというのだから至難の業であろう。「泳げるようになりたい」と一念発起したのはいいが、コーチの教えにまったくついていけず、悪戦苦闘する様子が綴られる。

 それで通勤の電車の中で恐る恐る開いて読んだ。爆笑するどころか微笑すら浮かばなかった。成毛はどこが面白かったのだろう。笑いというものはどこに発生するものなのかと考えてしまった。もし予知しないことに遭遇したとき笑いが発生するのならば、私は成毛と違って高橋と同類であるために「次の展開」が予知できて面白くなかったのだろうか。
 「あとがき」で高橋が書いている。

 本書は平成14年から約2年間にわたり、東京・南青山にあるリビエラスポーツクラブのスイミングレッスンに通った記録です。
 水泳の取材で難しいのは、メモを取れないという点でした。ノートやペンを持って水中に入るわけにはいきません。当初、レッスンの内容を再現するつもりで取り組んだのですが、そもそも私は水がこわくて、取材どころではなかったのです。

 毎回、プールから上がると、その日のレッスン内容をノートに書き留めた。ところが書いているうちに、水中で混乱していたせいか、辻褄が合わなくなってきて間違えた気がする。

……記憶違いかもしれないので、何度もレッスンを思い返し、体の動きを復習し、きちんと整理ができてから再びレッスンに行こう、などと逡巡しているうちに月日が経ってしまい、結果、私は休みがちな生徒になりました。

 本書は雑誌『考える人』に連載された。
 そうか、高橋はノンフィクション作家なのだ。高橋は泳げない。そこで『考える人』の編集部と相談して、水泳教室へ通って泳げるようになる過程をレポートすることにしたのだろう。本当に泳ぎたくなりたいのではなく、取材のために水泳教室に通っているので、それで「休みがちな生徒」になったのだろう。最後に泳げるようになるが、意外にもそのことが軽くしか書かれていない。
 本来『水泳教室で泳げるようになった体験記』という企画だったのだろう。それを編集部が現在の題名に変えたのではないか。


はい、泳げません (新潮文庫)

はい、泳げません (新潮文庫)