山田宏一『トリュフォーの手紙』を読む

 山田宏一トリュフォーの手紙』(平凡社)を読む。わが愛する金井美恵子が去年9月30日の毎日新聞のコラム「私の好きなもの」で、本書を取り上げていた。それでは読まずばなるまい。
 題名からトリュフォーの手紙がそのまま山田宏一の編集で1冊の本になっていると思っていた。そうではなかった。主にトリュフォーから山田宏一への手紙を紹介しながら、トリュフォーの半生をたどったものだった。著者名が山田宏一のとおり、本書は山田の著作なのだ。それを知って嬉しかった。その時気づいたのだが、私は山田宏一が好きなのだった。山田の『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』は楽しい本だった。
 フランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダールの文字通り親友だった。この二人にクロード・シャブロルルイ・マルエリック・ロメールなどを加えた戦後フランスの映画作家たちの運動をヌーヴェル・ヴァーグと呼んだ。トリュフォーの半生を語るときに親友ゴダールは欠かせない。面白いエピソードが数多く語られる。本当にこの本はすばらしい。
 ゴダールの映画『軽蔑』を私は高校生の頃見た。この映画の原作(モラヴィア)と映画を見た感想をブログにアップしたことがあった。

 映画の冒頭、裸のブリジット・バルドーが夫のミシェル・ピッコリに、私の足はきれい? 私のくるぶしはきれい? 私のももは? 私のお尻は? 私の肩は? 私の乳首と乳房とどっちが好き? などと聞く。
モラヴィアとゴダールの「軽蔑」(2008年6月13日)

 全裸のバルドーがベッドに横たわっていて、カメラが彼女の足から背中をナメていくのにつれて、上記の台詞がかぶさる。エロティックで強く印象に残ったシーンだった。バルドーに憧れたのも、本当はこの尻に憧れたのかも知れなかった。ところが、この尻はバルドーではなかったという。キャメラマンラウル・クタールがこんなふうに語っている。

クタール  そう、『軽蔑』はジョルジュ・ド・ボールガールとカルロ・ポンティ、フランスとイタリアの合作ですが、金を出しているのはアメリカ人です。ねらいはブリジット・バルドーの尻(ケツ)でした(笑)。それは最初から明らかだったのですが、ジャン=リュック(・ゴダール)はそれを承知で、わざとブリジット・バルドーの裸を撮らなかった。(中略)撮影結果を見るためのラッシュ試写でアメリカ人は怒った。「ブリジット・バルドーの尻(ケツ)をもっとたっぷり撮らなきゃ金はださんぞ!」とカンカンだった。そこで、ジャン=リュックはいやいやながら、ブリジット・バルドーミシェル・ピッコリのかたわらで全裸になってベッドで寝そべっているシーンを撮って、映画の冒頭に付け加えたのです。取って付けたような唐突なシーンでしょう。それも、あのブリジット・バルドーのお尻まるだしの裸そのもの、とくにお尻そのもののアップは、じつは吹替えなのですよ(笑)。ブリジット・バルドーはもうパリに戻ってしまって、いませんでしたからね。

 知らなかった。あれはバルドーの尻ではなかったのだ!
 さて、1968年のパリの5月革命で、ゴダールトリュフォーカンヌ映画祭を攻撃して中止に追い込むが、その後の方針を巡ってゴダールトリュフォーは対立し1973年に訣別する。そのまま二人は二度と会うことはなかった。1984年にトリュフォーががんで亡くなる。

 トリュフォーが亡くなったあとも、もちろんゴダールは映画を撮りつづけるのだが、『ゴダールリア王』でも『ゴダールの訣別』でも『ゴダールの映画史』でも、ずっと、ほとんどセンチメンタルに「フランソワ……」とよびつづけてきた。(中略)映画作家としても「フランソワはひとりで自ら映画をつくりはじめ……すべてひとりでやってみせたのだが……その逆であるかのように見せかけていたのであり……そしてそのために死んだのだ……」とつぶやきつづけた−−トリュフォーがいなくなって本当に寂しいのだといわんばかりに。

 このエピソードは、訣別していたメルロー=ポンティが亡くなったときのサルトルの追悼文を思い出させる。サルトルの『シチュアシオンIV』(人文書院)に収録されている「メルロー・ポンチ」は、翻訳で8ポイントの活字上下2段組み、90ページにも及んでいる。その末尾から、

……ファシズムがたかまると、それは失われた友人たちをふたたび結びつけるものだ。まさに今年、3月に、私は彼に再会した。私はエコール・ノルマルで講演を行ない、彼がやってきた。このことは私を感動させた。何年も前から、逢いたいと切望し、逢おうと申し出るのはいつでも私の方であった。はじめて彼が向こうからすすんでやってきたのだ。彼が諳んじている諸観念を私が述べるのを聞くためではなく、私を見るためにである。終わってから、われわれはイポリットとカンギアムもまじえて再会した。私にとって、これはうれしいひとときであった。ところでもっと後になって知ったことだが、彼はわれわれの間に何か居心地の悪さが残っているのを感じたと思ったということだ。その影さえなかったのだが、間の悪いことに、私は流感にかかっており、すっかり参っていた。別れ際にも、彼は自分の失望を一言も洩らしはしなかったが、それでも私は一瞬、彼が沈み込んでいたという印象を持った。だが私はそれを気にしなかった。「すっかりもとどおりだ。すべては出直しだ」と私は心に言った。それから数日たって、私は彼の死を知り、われわれの友情はこの最後の誤解の上に停止することになった。(中略)
 他にもたびたび彼と逢った私としては、われわれの関係について嘘をつきたくもないし、きわめて見えすいた楽天主義で筆を了えたくもない。私は彼の最後の夜の顔をまざまざと思いうかべる−−われわれはサン=ベルナール街で別れた−−失望して、突然閉ざされてしまったのだ。私の中には、哀惜、悔恨、いささかの怨恨によって汚れた、痛み多い傷が残っている。それ自体も変わってしまい、われわれの友情はこの傷に永遠に要約されている。(中略)
……形もなさず、解消もせず、これからまさに生まれ変わるかそれとも破れるかというときに消滅したこの長い友情は、私のうちに、夢幻にうずく傷となっていると言う以外に、結尾として語るべき何事もないのである。

 本書『トリュフォーの手紙』は、山田宏一トリュフォーの友情と信頼が満ちていて羨ましいほどだ。おそらく山田に不思議な魅力があるのだろう。さて、私はゴダールの映画は多少とも見てきたが、トリュフォーは何を見たか思い出せない。ちゃんとトリュフォーの映画をみてみよう。


トリュフォーの手紙

トリュフォーの手紙