ギャラリーαMの俵萌子展がすばらしかった

 東京千代田区東神田のギャラリーαMの俵萌子展がすばらしかった。残念ながら23日に終わってしまったが。
 俵萌子は1978年静岡県生まれ、2001年に大阪教育大学教養学科芸術線香美術コースを卒業している。個展はOギャラリーeyesで2006年より毎年行い、東京のOギャラリーでも2008年と2011年に個展を開いている。さらに「VOCA展2008」にも出品している。私は東京のOギャラリーの個展もVOCA展も皆見ているが、ギャラリー日記には何のチェックもしていない。印象に残らなかったのだ。私の眼が節穴だったのか、最近作家が変わったのか。今回の展示は最近の大きなヒットだった。
 今回αMでは保坂健二朗をキュレーターとして「絵画、それを愛と呼ぶことにしよう」と題する「αMプロジェクト2012」を企画した。先月の山田七菜子に続いて俵が2人めなのだ。
 画廊で渡してくれたちらしの俵のテキストが興味深い。

 私の絵画についてよく「風景を描いているのか」と問われることがありますが、具体的な対象はありません。描き始める上で、重要な役割を担うのは絵具の存在です。出来るだけ規則性を持たせずに画面上に絵具を置いていくと、自分の予想を超えて色彩が深く美しく変化する瞬間が訪れます。その変化に導かれるようにしながら衝動的に筆を動かすと、強いストロークが生まれます。私は絵具の強烈な存在感によって、自分の内面性が発露されるのを待っているのです。
 そういった瞬間の連続から層が生まれ、画面上では偶然に奥行感がもたらされたり空間に広がりが現れたりします。それらを見逃さず、各々の部分が独立しながら見る者の視線を引き込むように描き進めると、ぼんやりと一つの景色のようなものが現れてきます。ある人はそれを自分の記憶の中の風景だと言い、ある人は19世紀のヨーロッパの風景画のように感じるようです。
 絵画というのは、言ってしまえば支持体の上に定着させた絵具の塊です。私の作品は意識的に厚みのあるテクスチャーをつけることで、ときに絵画的な空間から見る者の意識を乖離させ、現実(物質性)のある方向へと引き戻します。私は、人が絵画という物質的な存在に対して架空のイメージや自らの記憶を投影することを非常に興味深く感じます。そのことは個人の恣意的な感覚、いわば"錯覚"と言えるかもしれません。けれどその錯覚こそが人にのみ与えられた幸福な能力なのではと思います。
 錯覚と知りながらも夢を見たり信じたりする。そうできる間は人が人らしくいられ、そして私達は求める幸福に近づくことができるのではないでしょうか。私は自分の生み出した絵画という存在が現実と錯覚の間を繋ぐものになれば良いと考えています。

 こんなに理論的な主張を書くことができる画家を私はほかに知らない。天が二物を与えたかのようだ。




 なおギャラリーαMはHPのアドレスからも分かるように武蔵野美術大学の関連ギャラリーだ。以前は吉祥寺にあり、次に京橋のギャラリーASK?に間借りし、2年ほど前にこの場所に移った。
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俵萌子
2012年5月26日(土)−6月23日(土)
11:00−19:00(日月祝休)
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ギャラリーαM
東京都千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビルB1F
電話03-5829-9109
http://www.musabi.ac.jp/gallery/