こんにゃく座の「オペラ ネズミの涙」

 新百合ヶ丘にある川崎市麻生市民会館ホールで行われたこんにゃく座の「オペラ ネズミの涙」を見た。台本・演出があの「焼肉ドラゴン」の鄭義信だ。作曲は荻京子。こんにゃく座は娘が幼稚園の頃「セロ弾きのゴーシュ」を見たことがある。テーブルのような大きな板1枚の舞台で、その上で芝居が繰り広げられる。とても印象に残った良い舞台だった。娘も大喜びだった。もう25年近く前だ。
 会場に着くと観客に子どもたちが多い。そうか、子どもも楽しめる舞台だったとちょっと不安になった。まさか幼稚な芝居ではあるまいな。
 物語は天竺一座という旅芸人のテンジクネズミの一家が主役で、ドブネズミとクマネズミが戦争をしている国で旅回りの芝居をしている。天竺一座の唯一の出し物が「西遊記」で、一座の4人(父母と息子と娘)だけでそれを演じる。当然役者が足りないので、観客であるドブネズミの兵隊や娼婦に役を割り振る。この劇中劇が面白かった。京劇風で(京劇をちゃんと見たことはないが)、悟空と妖怪が立ち回りをする。三蔵法師猪八戒も三枚目に描かれる。
 まずネズミの息子がドブネズミの軍隊に入ってしまう。歩哨に立っていた時、白旗を掲げて来た敵の民間人であるクマネズミたちを機関銃で撃ち殺してしまい、「英雄」とされる。後にクマネズミ軍と戦って破れたとき、報復され殺されてしまう。
 娘ネズミも新婚1年目の夫が街へ行って帰らないとき、ドブネズミ軍が街を焼き払う作戦を計画しているのを知って、非常事態を街に知らせようと太鼓を打ち続け、ドブネズミの隊長に撃ち殺されてしまう。
 二人の父母は、私たちに子供はいなかったと思おうと泣く。
 ここで「焼肉ドラゴン」を思い出す。戦後の大阪で不法に住みついて焼肉屋を始めた在日朝鮮人たちが、やがて土地を追われ、家族がバラバラになっていった芝居を。
 すると、テンジクネズミには朝鮮人の寓意が、残酷で教養のないドブネズミには日本の兵隊の寓意があるのだろう。子どもたちも面白がって見ていたこの芝居は、とてもリアルな現実が深いところで反映されているのだ。
 良い芝居を見て、新百合ヶ丘から東京を横断して隅田川の東まで帰ってきたのだった。しかし、新百合ヶ丘というのに、特に女性のカップルが多いようでもなかったなあ。
 閑話休題西遊記といえば、昔私が出張でインドへ行ったとき、土産に買うものが何もなかったので線香をたくさん買ってきて親戚に配ったんだと娘に話すと、父さんて三蔵法師みたいだねと言われた。すかさずカミさんが、頭が沙悟浄でお腹は猪八戒よと言いおった。
「焼肉ドラゴン」は2011年、新国立劇場で再演されるという。これは見なければならない。