俳優座劇場プロデュース公演『もし、終電に乗り遅れたら…』を見る

 俳優座劇場プロデュース公演『もし、終電に乗り遅れたら…』を俳優座劇場で見る。作=アレクサンドル・ヴァムピーロフ、演出=菊池准、出演=浅野雅博、小田伸泰、外山誠二、逢笠恵祐、若井なおみ、米倉紀之子ら。
 戦後ソ連の劇作家ヴァムピーロフの戯曲。終電に乗り遅れた青年2人が、見知らぬ家に入り込み、1人がその家の父親の息子だと言い張って、その夜泊めてもらおうとする。そこからドタバタ的混乱が発生し、娘の婚約者の問題、息子の失恋、父親の仕事の偽りなどが明らかになっていく。
 いわば上質な家庭的喜劇。そう言ったら、娘がそれってチェホフじゃんと言う。いや、そんなに立派なものじゃないよと答えて、なにがチェホフと違うのだろうと考えた。チェホフなんかより、むしろテレビのドラマに似ているのではないか。ただテレビドラマと違って演出も役者も悪くなかった。でも何か満足感が得られなかった。なぜだろうと考えて、鏡明植草甚一について評している言葉「趣味はあるけど、主義主張がないんだよね」を思い出した。
 40年前頃から時々芝居を見ていた。当時アングラ芝居と言われていた小劇場が好きで、そんな芝居ばかり見ていた。ちゃんとした新劇はほとんど見たことがなかった。演劇集団68/71(黒テント)とか、劇団走狗、劇団魔呵摩呵、内田良平、黙示体などを思い出す。天井桟敷は1,2度しか見なかったし、状況劇場(赤テント)も同じくらい、早稲田小劇場には1度行っただけだった。東京キッドブラザースは終演後みんなで手を繋ぐのだと聞いて嫌悪した。その後木冬社にはまり、カミさんの影響でこまつ座井上ひさしの芝居をビデオ録画で見てきた。
 70年代のアングラ芝居は政治の季節を反映した芝居が多かったし、たぶん新劇に対抗してリアリズムとも一線を画していた。そんな世界で芝居を知ったので、主義主張がなかったり、リアリズム偏重の芝居には高い評価を与えられないという偏向した趣味ができてしまったのだ。今まで見た芝居のベストは、清水邦夫の『タンゴ・冬の終わりに』の初演。木冬社の『弟よ』も良かった。
 では主義主張があれば良いのかと言えば、評判の『焼肉ドラゴン』をテレビの録画で見たときは感動したが、2年後に劇場で再演を見たときは期待外れだった。芝居の作り方に新しいものがなく、まるで新劇を見ているような気分だった。『しゃばけ』を見たときなんか、始まって15分ほどで帰りたくなったほどだった。
 俳優座劇場は久しぶりに入った。こんなに小さな舞台で、狭い通路やロビー、暗い照明など、やはり古い劇場だった。でも建設当時、俳優座が自前の劇場を持ったのだったからすごいことだったのだろう。
 先に書いた『タンゴ・冬の終わりに』を見るために入って座席を探していると、もぎりのお姉さんが飛んできて、お客様これはパルコ劇場の切符ですと言われたのが俳優座劇場だった。演劇集団68/71の芝居で、ラストのシーン、館内が真っ暗になりシューッとガスの出る音だけがしたアウシュビッツガス室を再現した芝居もこの俳優座劇場じゃなかったっけ。あの時の印象は強烈で、まだ座っていた椅子のだいたいの位置も憶えている。
 演出といえば、大人になって見たテレビドラマの『ルーシーショー』の再放送を思い出す。ブラウン管一杯にルーシーと相棒のおばさんが向かい合って話していた。その時ドアがノックされ、ルーシーのどうぞの声で二人のまん中の向こうにあるドアが開く。二人が両脇に離れる。ドアから入ってきた人物が二人が占めていた位置、画面のまん中に位置して話始める。ハリウッドの作劇術に由来するであろうアメリカのテレビドラマのおそらくルーティンワークとなっているしゃれた演出に驚いたのだった。
 この『もし、終電に乗り遅れたら…』は招待状をもらって行ったので、辛口の紹介になったことは少々心が痛むのだが……。