リーディング公演で別役実『門』を見た


 先月、新国立劇場のマンスリープロジェクトで別役実の『門』のリーディング公演を見た。マンスリープロジェクトは毎月行われていて、多くは講義が多いのだが、年に1回リーディング公演がある。すべて無料なのだ。今までもリーディング公演は何回か見てきた。
 この『門』はちょうど50年前に鈴木忠志の早稲田小劇場旗揚げ公演として初演されたという。創作のモチーフはカフカの『掟の門』とのこと。別役が確立した不条理劇の創成期における傑作とある。ちらしから、

−「道理」の前に一人の門番が立っている。男がやって来て、門を通ろうとするが、通してもらえない。「そのうち入れるようになるのだろう」と何年も待つうちに歳を取り、ついには死の間際に「門はお前だけのものだったのに・・」と知らされる−
この話をもとに書かれた『門』は、門の向こうにある世界と、門を通るための許可をめぐる、二人の男とひとりの女の芝居を、独自の論理性と、独特の嗅覚に訴えるような湿った感性にくるんで描かれています。

 別役の芝居を見るのは初めてだった。出演はベテランの男女の役者3人と、リーディング公演のためト書きを読み上げる新人の若い男の役者が壇上に並んでいる。演出は当劇場の演劇部門の芸術監督である宮田慶子。作家、役者、演出家とも一流が揃っている。
 さて、芝居は楽しめなかった。なぜだろうと考えた。別役の本公演を見たことがないので、確かなことは言えないのだが、リーディング公演という形式が別役の芝居とは合わないのではないかと想像した。
 別役の芝居は不条理劇と言われる。かつて読んだ別役の戯曲からの印象では、あまり劇的な事件が起こらなくて、非日常的な小さな事件が連続する。リーディング公演では、台詞以外は演技ではなく朗読で説明される。おそらく別役の芝居で面白いのは不条理な演技ではないのだろうか。台詞からだけでは、その面白さが十分に伝わってこないのではないだろうか。これだけ豪華なキャストとスタッフを揃えて、別役があまり面白くなかったのは、そう考える以外に説明できないと思った。いつか別役の芝居の本公演を見てみたいものだ。