野木萌葱『東京裁判』を見る

 野木萌葱 作『東京裁判』を新国立劇場演劇研修所10期生有志企画が上演した舞台を見た(芸能花伝舎内 新国立劇場演劇研修所 実習室、6月25日)。
 ごく簡単な装置。舞台の中央に丸いテーブルが置かれている。それをとり囲む5脚の椅子。芝居が始まると男たちが5人登場して椅子に座る。彼らは東京裁判の日本人側の弁護士たちと通訳だ。客席は舞台正面と右手に設置されていて、また正面客席の後ろ側に連合国側の判事たちと裁判長が並んでいると設定されているようだ。さらに舞台の裏手に同じく戦犯とされた被告28名が並び、舞台右手の客席の後ろに検事たちが並んでいるという設定になっている。実際に登場しているのは中央の5人だけ。
 5人の台詞だけで芝居が進行するが、通訳がいるので裁判長や判事、検事の重要な台詞は、通訳を通じて客にも伝えられるという形式になっている。
 最初に罪状認否から始まる。被告人が起訴状に書かれた罪状を認めるかどうかについて行う答弁だが、弁護人たちは動議を提出し裁判長の忌避を申し立てる。弁護人たちは裁判の形式のなかで取りうべき手段を駆使して被告を弁護してゆく。戦争犯罪を犯したという起訴状に対して、戦争をすることは政治の一つの選択であって国際法上禁止されているものではないと。罪は法に規定されるのだから。罪と責任は違うと。それらが検事や判事と弁護人の間で厳しく討議される。
 ややこしい裁判劇を見せられるのかと思ったが、弁護人たちの内紛や個々の心情など面白く、また緊張感が途切れることなく、手を握りしめながら見ていた。最後にそれまであまり発言しなかった弁護人の一人が、自分は広島で被爆したとしてアメリカを批判する。そのとき感動でほとんど涙が出そうになった。
 太平洋戦争の戦犯を扱った裁判劇という形式をとりながら、弁護人5人の葛藤を示す性格劇にもなっている。その構成がすばらしい。
 研修生たちの芝居ということを全く感じさせない優れた演技だった。ベテランが演技すればさらに良い芝居になるのだろうが、不満は感じなかった。演出家の名前が記されていないので訊けば、個人ではなく皆で演出したとのこと。素人考えだが、テーブルを舞台の下手寄りに置き、上手の空間を大きく取って、弁護人たちがもっと上手へ進んで演技すれば、舞台が大きくなったのではないか。テーブルに座っているというのが芝居の前提なのだが、立って話すときは上手へ出て行って話すとか、テーブルの形も半月形にして、弁護人たちは正面に向って弧の部分に並び、手前の弦の部分は誰も座らないなど、リアリズムを少し崩しても良かったのではないか。そうすれば役者たちの顔がよく見えることになる。森田芳光の映画『家族ゲーム』でも、家族の囲む食卓が横長のテーブルになっていて、皆向こう側に座っているというのがあったのだから。
 芝居の成功はなんといっても優れた台本にある。野木萌葱という作者は初めて知った。「パラドックス定数」という劇団に所属しているらしい。こんな骨太の芝居を書ける若手の劇作家がいるのだ! 
 5人の役者もすばらしかった。岩男海史、高倉直人、田村将一、中西良介、永田涼、忘れないよう名前を記しておこう。
 帰り道、いま見てきた芝居を反芻しながら感動に浸っていた。研修生の芝居ということで無料だった。なんだか申し訳ない気がした。