「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」を読んで

 山田宏一「増補 友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」(平凡社ライブラリー)が楽しい。500ページもあるのに一気に読んでしまった。山田宏一はフランスに留学し「カイエ・デュ・シネマ」(映画の手帳)の同人となり、ヌーヴェル・ヴァーグの監督たちと個人的に親しく付き合った。そのエピソードをふんだんに盛り込んだ映画史だから面白いのは当然だ。

 ジャン・ルノワールとの出会いがルキノ・ヴィスコンティに「ネオリアリズモ」の誕生を促す決定的な刺激をあたえたといわれているが、また他方では、ルノワールのチーフ助監督だったジャック・ベッケルをとおして、「カイエ・デュ・シネマ」誌にもその影響が及んでいく。こうして、ジャン・ルノワールの映画的遺産が、一方ではヴィスコンティをとおしてイタリアのネオリアリズモに、他方ではジャック・ベッケルをとおしてヌーヴェル・ヴァーグに、それぞれ、受け継がれてゆく。

ヌーヴェル・ヴァーグのプロデューサー)プロンベルジェに、これまで製作してきた映画のなかでは、どの作品にいちばん愛着があるかと訊いたら、それは、文句なしにジャン・ルノワールの「ピクニック」だ、と答えた。

 あの映画がテレビで放映されたのを見たとき、わたしはあらためてあの映画の映画としてのすばらしさを再認識しましたね。同時にそれ以来、わたしはテレビぎらいになってしまいました。映画言語があるとすれば、それはフレームのなかで生きているのです。ところが、テレビにはフレームというものがない。言語としても、造形的にも、フレームがない。映画的なフレームがないところで、映画的な美が殺されるのは、当然なことなのです。「ピクニック」をテレビで見たときほど、私はテレビを憎悪したことがない……。

 以前、横浜逍遙亭さんが夏目雅子を撮影したことがあり、きれいな人で驚いたと書いていた。(id:taknakayama:20071126)「ラ・ジュテ」の監督として知られるクリス・マルケルが同じ印象を持ったという。

 (クリス・マルケルが日本に滞在中)彼はテレビでかつて見たことのない美しい日本女優を「発見」した。「グレタ・ガルボ以来の美女だ!」とマルケルは熱狂したものだ。「20年前だったら、わたしはドキュメンタリー作家にならずに、彼女のために劇映画を作っていただろう」。その女優とは夏目雅子だった。テレビで再放映されていた「西遊記」の三蔵法師役の夏目雅子にマルケルは狂っていた。

 ゴダールアンナ・カリーナに夢中だったが、やがて捨てられてしまう。私もアンナ・カリーナが好きだった。それからクラウディア・カルディナーレモニカ・ヴィッティ、パトリシア・ゴッジ、岡田茉莉子山口百恵。大プロデューサーのラウル・レヴィは44歳のとき、21歳の娘に振られて自殺してしまう。私は何が言いたいのか。女性の魅力のことだ。いずれまた。