繊細で、かがやくばかりの金髪の美青年

 次の引用は、昨日エントリーした山田宏一「友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌」(平凡社ライブラリー)に紹介されているエピソードだ。この金髪の美青年は誰だろう。

 1965年のカンヌ映画祭に行ったとき、初めて、ジャック・ドゥミ(「シェルブールの雨傘」の監督)に会った。
(中略)
 カンヌで、ジャック・ドゥミはひとりの青年といっしょだった。その青年は、静かに連れ添うかのようにジャック・ドゥミのかたわらに立っていて、無口で、やさしくほほえみ、ほっそりしていて、繊細で、かがやくばかりの金髪の美青年であった。美青年ではあるが、ひょっとすると、ふしぎなことに、ジュリアン・デュヴィヴィエの映画の"にんじん"みたいに見える顔でもあった。ジャック・ドゥミは、この美青年を、ジャン=マリー・ギュスターヴ・ル・クレジオだよ、と言って紹介してくれた。
(中略)
 当時、ル・クレジオジャック・ドゥミと組んで、ニースを舞台にした映画の脚本を構想していたはずだが、実現までには至らなかった。ふたりはまるでおそろいといった感じの純白の上下の背広を着ていた。ふたりがカンヌの海岸通りを歩くと、まぶしいくらいに美しく似合ったという記憶がある。

 こんなエピソードも、ル・クレジオのファンなら嬉しく読むだろう。彼の処女作「調書」が1966年に日本で翻訳発行されてすぐに買って読み、夢中になって何度も読み返し、ついで「発熱」「物質的恍惚」「洪水」「愛する大地」と読んで、次を読むまで40年近く経った。
 本書の影響で池田満寿夫は「私の調書」を書いたのだろう。「調書」の主人公はアダム・ポロと言った。私は10代から、彼の兄弟としてModesty M. Poloと名乗ったのだった。