ル・クレジオ「調書」が復刊した

 ル・クレジオが昨年ノーベル文学賞を受賞し、長らく品切れだった処女作「調書」(新潮社)が復刊された。それで、新潮社のPR誌「波」1月号に野崎歓が「23歳の勇姿を、いまこそ再発見しようーーJ. M. G. ル・クレジオ『調書』」と題するエッセイを書いている。

 池澤夏樹加藤典洋青山南の三氏の推薦の辞が新装版の「おび」に記されている。いわく「最初に読んだとき、アダム・ポロはぼくだと思った」(池澤)。「18歳。1966年は、わたしにとって『調書』(豊崎光一訳)の年だった」(加藤)。「ル・クレジオの言葉はさながらまぶしく熱い光の粒だ」(青山)。

 私も1966年、高校3年でこれを読み、1966年はわたしにとって『調書』の年だったし、アダム・ポロはぼくだと思って、早速ペンネームを「モデスティ・マサヨシ・ポロ」としたのだった。Modesty Msayoshi Polo、略してM. M. Polo、このブログのタイトルの由来だ。
 雑誌「考える人」2008年春号「特集 海外の長篇小説ベスト100」の検証座談会で青山南加藤典洋豊崎由美の3人が、ル・クレジオについてこんな風に語っていたのだ。

青山  豊崎さんで思い出した。ル・クレジオを入れるのを忘れたな。
豊崎  豊崎光一さんの訳ですね。
加藤  入れようと思ってたんだよ。僕、入れたっけ? 入れてない?
青山  「調書」は入れたかったな。
加藤  「調書」は入れなきゃいけないんですよ。若いときのこと考えると、入れなきゃ申しわけない。だって、あの「調書」でしょう。そのあと「発熱」があって、「物質的恍惚」「大洪水」……。
青山  加藤さんと僕は年齢が近いので、「調書」が翻訳されたときの日本での大騒ぎはよく覚えています。「物質的恍惚」も大好きでした。
加藤  出てすぐ買ったんですよ。ちっちゃい本屋でね。帯の背に「新しい嘔吐」と書いてあった。66年、大学1年のときです。
青山  「調書」は大変な話題になりましたよね。訳がまた斬新だった。「調書」はかなりぶっ壊れた小説で、ああいう小説を書いた人は、やっぱりのちのちインディオのほうに行くだろうなと思う。