最近読んだ誰かの本で遠藤周作『わたしが・棄てた・女』が強く推されていたので今度読んでみた。もう40年前、これを映画化した浦山桐郎監督の作品『私が棄てた女』を見て感心したのを憶えている。映画では女工のミツが大学生の吉岡努と関係したあと2回棄てられるが、それが大衆がインテリから2回棄てられるというような図式を持たされていた。映画はすばらしかった。
今度初めてその原作を読みながら、こんなに暗澹たる思いをさせられた小説は久しぶりだと思った。それで先年ノーベル文学賞を受賞したフランスのル・クレジオの『調書』のまえがきを思い出した。
私は二つの秘かな野望を抱いています。そのうちの一つは、仮に小説の主人公が最後の章で死ぬか、そこまで行かなくても、パーキンソン氏病に冒されでもしたら、悪口雑言に充ちた無署名の手紙の洪水が私を襲う、そんな小説をいつの日か書くことです。
女工のミツは不細工な娘とされているから、遠藤周作は「悪口雑言に充ちた無署名の手紙の洪水」には襲われなかっただろうが、これはただただ暗いだけの小説ではないか。浦山桐郎の巧妙に社会化した図式もないし、遠藤のいつもの神の存在に関する形而上学的な問いもない。
吉岡努もその婚約者の三浦マリ子の造形もあいまいだ。私はこの作品を推すことはできない。

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