大阪大学助教授だった哲学者の矢内原伊作は2年間のフランス留学中に彫刻家のジャコメッティに紹介される。1956年、留学を終え日本に帰国する直前にジャコメッティを訪ねると、ジャコメッティは矢内原を描くことを希望する。矢内原は10月6日から12月16日までの72日間1日の休みもなく、ジャコメッティの油彩による肖像画のモデルを務めた。帰国予定の日を何度も何度も延期して。その後夏休みになると渡仏してモデルを務めることが以後5年間に渡って続いた。作り直し描き直すジャコメッティ、作品はなかなか完成しない。描き、消し、描き直す日々、その繰り返し。朝から深夜まで辛抱強くモデルを務める矢内原。お互いが相手を気に入っていることが、相手を好きなのがよく分かる。
モデルを始めて何年目かの時、矢内原はジャコメッティ夫人アネットと寝る。何度も。彼女はまだ若いからとそれを黙認するジャコメッティ。そのことで友情が壊れることはなかった。しかし、何が起こったのか。なぜ矢内原はアネットを誘惑したのか。あるいはアネットの誘惑に応じたのか。
私は推測する。矢内原は本当はジャコメッティと寝たかったのだ。しかし二人とも同性愛の傾向がなかった。それで矢内原はアネットと寝ることで代償としたのだ。
以前、私は親しい友人(男)と酒を飲みながら、おまえと3P(男女3人の性行為)をしたいねと冗談交じりで言ったことがある。彼はネットにそういうサイトがあるから、そこで相手を見つければいいよと言う。そうじゃないんだ、女は誰でもいいけど男はおまえじゃなきゃダメなんだ。そう言ったとき、自分の気持ちを知った。
このアネットとの体験が書かれた矢内原伊作「ジャコメッティとともに」(みすず書房)の初版は、アネット夫人の抗議によって絶版とされ今は読むことができない。