モーム『聖火』を読む

 モーム/行方昭夫・訳『聖火』(講談社文芸文庫)を読む。『月と六ペンス』のモームが書いた戯曲、これがとても良かった。さすがストーリーテラーモームと思わせたが、解説ではモームのほとんどの芝居が大衆向け路線の風俗劇で、本作を含めた4作がイプセンやショーの思想劇、問題劇に近いものだという。
 裏表紙の惹句から、

第1次大戦後の英国上流家庭。事故で半身不随となりながらも快活にふるまう長男が、ある朝、謎の死を遂げる。美しい妻、ハンサムな弟、謹厳な母、主治医、看護婦らが、真相を求めて語り合う。他殺か、自殺か。動機、方法は? 推理小説仕立ての戯曲は、人生と愛の真実を巡り急転する。……

 厳粛な母タブレット夫人の印象的な台詞。

「自分を根底から揺るがすような強い誘惑に抵抗など出来る人がいるのかしら、と時々思うの。よく誘惑に勝ったというけど、本当はあまり強く誘惑されなかったのじゃないかと思うわ。人間と誘惑の関係を考える時、川と堤防のことを考えてしまいます。大量過ぎない水が流れている場合なら、堤防は役目をちゃんと果たしてくれます。でも一旦洪水が来たら、堤防は抵抗不可能ね。川は氾濫し、大混乱になります。」

 3幕の舞台はただ会話だけで成り立っている。その台詞が人生の深いところまで到達している。さすがモーム。なぜモームにそのような洞察が可能だったのか。モームは吃音で同性愛者だった。それらの負荷がモームを深い思索に導いたのだろう。
 ぜひこの舞台を見てみたいと思った。


聖火 (講談社文芸文庫)

聖火 (講談社文芸文庫)