よそ者

 以前、友人が埼玉県日高市高麗(当時日高町)に引っ越した。ここは高麗神社が近く、彼岸花で有名な巾着田も近い。ある夜友人宅を訪ねた。一度行っていたので一人で行ったのだが、道順がよく分からなかった。高麗駅で駅員に道を聞いた。何という家を訪ねるのだと言うので、友人の名前を答えると即座に、そいつは土地の者じゃないなと言われた。駅員は土地の者全員を知っているのだ(だから、そいつはよそ者だ)。

 閑話休題。その友人に聞いた話。日高市あたりの人間は戦前決して近衛兵に選ばれなかったという。高麗人は帰化人で純粋の大和民族ではないから。さらに脱線。大岡昇平は近衛兵だったので、軍隊で恒例の悲惨な兵隊いじめを経験しないですんだ。

 長野県南部の、山村に近い農村にある私の実家周辺はほぼ部落全員が原姓だった。だから皆屋号で呼んでいた。御下とか玉屋とか、山木屋、新玉、たけや、玉庄、えほ屋、狐塚等々。原姓でないのは3軒だけ。鵜飼、畑、それに私の旧姓F沢だった。ある時、親父が普段親しくしている隣の鵜飼さん(息子が私の同級生だった)のことを、「どこの馬の骨か分からん旅の者」と言った。転居してきてやっと3代目だと言うのだ。二重にショックだった。一つはあんなに親しく付き合っていながらと思った。もう一つは、わが家も旅の者だったから。本家から分家して親父が4代目だった。本家がいつから続いているか知らないのだが、代々伝わっている言い伝えに、先祖は空から火の粉が降ってくる中を逃げてきた、というのがあった。元々群馬県の嬬恋辺りに住んでいたらしいのだが、天明3年の浅間山の大噴火で故郷を捨て、長野県の南部まで流れて来たようなのだ。まあ、(当時で)180年くらい経っているとはいえ旅の者には変わらないだろう。目くそが鼻くそを笑っている類ではないだろうか。その親父も去年88歳で亡くなったが。