吉川浩満『理不尽な進化』(ちくま文庫)を読む。副題が「遺伝子と運のあいだ」。第1章は地球上の生物種が過去99.9%絶滅していると驚くべき指摘がされる。ほぼすべての種が絶滅する。生き残っているのはわずか0.1%に過ぎない。しかしそれは適者が生き残ったのではない。地上の栄華を誇った恐竜は巨大隕石の衝突による気候の変動で絶滅した。
適者が生存するのではなった、単に運が良かったに過ぎない。絶滅したのは運が悪かったのだ。理不尽な理由で絶滅したのだ。今まで5度の大量絶滅があった。オルドビス紀末、デボン紀後期、ペルム紀末、三畳紀末、白亜紀末の5回。
第2章と第3章と終章については、巻末の養老孟司の解説を引く。
第2章は進化論の俗流理解を扱う。自然淘汰あるいは適者生存とはどういう意味か。どう理解すればいいのか。「最適者生存なら、世界はどうしてヒトだけにならないんですか」その種の質問をする人は、ここをよく読んだ方がいいかもしれない。
第3章は進化論者の近年の大立者二人の対立を扱う。スティーヴン・ジェイ・グールドとリチャード・ドーキンスである。そんな人、どっちも知らないよ。そういう人にはちょっと向かないかも知れないが、それでも著者の主旨はわかると思う。この章で確定されるのは、二人の論争はドーキンスの勝ちだったというものである。さらにダニエル・デネットのダメ押しが加えられる。
終章がいわば本番になる。ドーキンスの勝ちというが、それで終わりにしていいのだろうか。グールドが死ぬまで頑張り続けた理由が何か別にあったのではないだろうか。生物が最適な戦略をとっていることは間違いない。それは多くの実例が示す。しかしその説明に問題はないか。現在生物が示す状況がいかによく環境に適応しているか、という説明を続けるなら、そこには過去つまり歴史がない。古生物学者でもあったグールドが歴史性にこだわるのは当然である。絶滅もその一つといっていいであろう。しかも現代進化論を支える大きな柱は二本あって、一つは自然淘汰だが、もう一つは系統樹すなわち歴史なのである。この先は実際に本を読んでいただくのが一番であろう。
著者吉川の博覧強記ぶりに圧倒される。しかし同時に記述が冗長であるという印象も受けるのも事実だ。もっと刈り込めば現在の文庫本で450ページという分量は20%くらいは減らせるのではないか。