門田秀雄「美術史から消えた『労働者』」

 2月に亡くなった門田秀雄さんの古いエッセイを再録する。これは13年前の2009年11月19日に掲載された(日本経済新聞朝刊)。忘れられた前衛美術家でプロレタリア美術家の岡本唐貴と入江比呂を紹介している。その「美術史から消えた『労働者』」全文を下に引く。

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 岡本唐貴と入江比呂。といっても、わかる方は少ないだろう。岡本氏は画家、入江氏は彫刻家として、戦前のプロレタリア美術運動を担った。だが、日本の近代美術史研究においてほとんど顧みられてこなかった。

 大正末から昭和初期、未曾有の不況を背景に、労働者の解放を掲げたプロレタリア美術には多くの芸術家が共感した。しかし戦後は、政治性を帯びた芸術への反感、作品や資料が残っていないといった理由からも、美術史の空白となってきた。そのままで、私たちは自国の歴史を持っているといえるのだろうか。

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 電話帳から当事者探し

 そんな問題意識を抱え、美術評論家として歩みだした30余年前、私は2人に会った。埋もれた過去について知るとともに、戦後という時代と向き合う誠実な生き方に触れた。その体験は今も私を支える糧だ。

 60年安保のころ、私は大学で東洋美術史を学んだ。だが今ほど全国に美術館がなく、学芸員職が少ない時代。東京の会社に就職し、仲間と作った同人誌に論文を書いたり、雑誌を主宰したりする道を選んだ。

 プロレタリア美術について書くと決めたのは1976年。だが、国立国会図書館を探しても、運動を伝える雑誌類はいくらもない。当事者に会うしかないと、電話帳で岡本唐貴の名前を探した。

 「当時の運動には批判があるのですが、お話をお聞きしたい」。おそるおそる切り出した私を、岡本氏は快く自宅に招いてくれた。当時73歳。官憲の拷問の後遺症に悩まされたという話が信じられないほど、大きな体躯は頑丈に見えた。

 一方でにじみでる孤独感に私は胸を突かれた。絵は描いても、売れた様子はない。ご子息の白土三平氏はすでに人気漫画家。「(息子に)世話になっています」とはにかむように話された。以来、86年に他界するまで月に一度は会っていた。

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 孤独に耐えて信念貫く

 プロレタリア美術は、徹底した弾圧によって短命に終わった。岡本氏の所属したグループ「造形」は28年から「プロレタリア美術大展覧会」で中心的な役割を果たすものの、32年に壊滅した。

 けれども岡本氏の孤独の源は、戦前より戦後の挫折にあったと思う。46年、岡本氏は矢部友衛氏、山上嘉吉氏ら「造形」の仲間と「現実会」を設立して再起をはかるが、わずか2年後に解散する。

 公にされていないその理由を私に語ってくれたのは山上氏だ。あるとき共産党が「現実会」を影響下におこうと矢部氏を通じて働きかけてきた。それに岡本氏が反対して矢部氏と激しい論争になり「解散だ」と岡本氏が言ったという。

 芸術を政治に従属させる政治主義に、岡本氏はプロレタリア美術で懲りていた。同時に「過ちの責任は自分にある」と認めていた。私が尊敬したのはそんな人間性だ。生活苦や孤独に耐え、信念を貫く姿勢は立派だった。

 入江氏とは同じ76年、作品を通じて出会った。プロレタリア美術を経て、より前衛に向かった作家はいないかと探していたところ、知人に「昔プロレタリア美術をやっていたという変なおじいちゃんがいる」と知らされた。

 見て驚き、惹かれた。白セメントに使い終わった工業製品や日用品を組み合わせて作る人体や動物は、ユーモラスで異風、見たこともない造形だった。社会変革への衰えない意思が伝わってきた。

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 工業部品「無駄はない」

 岡本氏は戦前の一時期を象徴する作家としても国立美術館にも作品が収められている。対して入江氏はほぼ無名だ。しかし、入江氏が戦後結成に参加した「前衛美術会」はもっと評価されるべきだ。当時のシュルレアリスムを超えた新しい造形と、同時に政治・社会の変革を求めた世界的に稀有な集団だった。

 最後までプロレタリア美術の気概を持ち続けた人でもあった。労働者の作る物に何一つ無駄はない」と工業製品の再利用について話された。

 92年の死後、私は入江夫人から鎌倉にあるアトリエと作品一切を遺贈された。アトリエと庭に作品を展示し、2000年から2年に1度、「彫刻家入江比呂の家」と題し一般公開している。大ファンだった舞踏家の大野一雄氏が、訪ねてくださった。ただ、私も体力が衰えたので、来年は休み、次は11年春に開ければと思う。

 100年に1度という不況で、再び「蟹工船」が読まれる時代が訪れた。新しい世代の手で、一層プロレタリア美術の研究が進むことを期待している。(もんでん・ひでお=美術評論家

 

・門田秀雄さんが紹介する入江比呂

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20091130/1259529759

 

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入江比呂

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入江比呂

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入江比呂

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入江比呂

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入江比呂

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岡本唐貴

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岡本唐貴

※岡本唐貴の画像は、「データ検索情報誌2018-2019」の「岡本唐貴とその時代」より