門田秀雄さんが亡くなったという。2月20日に群馬県の施設でだった。門田さんは美術評論家で美術作家だった。美術批評誌『構造』を一人で主宰・発行していた。最後に発行したのは2003年6月の第14号だった。2007年にまだ次の第15号を発行すると言われていた。
個展も何度か拝見した。しばしば倒立した人や木を描いていた。普通に描いた絵を引っ繰り返したように見えたが、倒立した形で描いているのだと言われた。大きな作品を展示している横の壁にスケッチブックから破り取ったようなデッサンが貼られていた。街の建物を描いたようだが、何かごちゃごちゃしていた。これは何ですかと訊くと、道を歩きながら前方の風景を描いているんだとのこと。歩きながら変化する風景を1枚の紙に重ねて描いている。空間が重層している。これ、面白そうですね、作品にしたらどうですかと言うと、いや、それを完成する自信はないよと言われた。
ギャラリー川船の個展では映像作品を見せてくれた。息子が演奏するロックの録音を流して、それと連動して日の丸の旗が次々と色を変えていくものだった。白地に赤い丸が緑や黄など様々に変わっていく映像だった。
また前衛美術会の入江比呂の自宅を継承し、「入江比呂の家」として彫刻作品とともに管理し、定期的に公開していた。
『構造』は広く寄稿を求め、門田の責任編集で発行していた。2007年7月に東京京橋にあるギャラリイKでトークショーが行われた。テーマは瀧口修造批判で、現在この論文を執筆中だが、これが完成したら『構造』第15号を発行してそこに発表するとのことだった。しかし、結局それは完成しなかったようだ。その課題を残したまま門田さんは亡くなってしまった。
トークショーで配布されたレジュメを、後日門田さんの許可を得て、このブログに紹介した。長いので、明日それを再掲したい。
門田さんのご冥福をお祈りします。