門田秀雄さんが紹介する入江比呂

 門田秀雄さんは私が尊敬する美術評論家だ。11月19日付けの日経新聞文化欄に「美術史から消えた”労働者”」という門田さんのエッセイが掲載された。副題が「弾圧受けたプロレタリア美術、戦後の空白を追う」とある。

 岡本唐貴と入江比呂。といっても、わかる方は少ないだろう。岡本氏は画家、入江氏は彫刻家として、戦前のプロレタリア美術運動を担った。だが、日本の近代美術史研究においてほとんど顧みられてこなかった。
 大正末から昭和初期、未曾有の不況を背景に、労働者の解放を掲げたプロレタリア美術には多くの芸術家が共感した。しかし戦後は、政治性を帯びた芸術への反感、作品や資料が残っていないといった理由からも、美術史の空白となってきた。そのままで、私達は自国の歴史を持っているといえるのだろうか。

 そんな問題意識を抱え、美術評論家として歩み出した30余年前、門田さんはこの2人に会った。

 プロレタリア美術について書くと決めたのは1976年。だが、国立国会図書館を探しても、運動を伝える雑誌類はいくらもない。当事者に会うしかないと、電話帳で岡本唐貴の名前を探した。
「当時の運動には批判があるのですが、お話をお聞きしたい」。おそるおそる切り出した私を、岡本氏は快く自宅に招いてくれた。当時73歳。官憲の拷問の後遺症に悩まされたという話が信じられないほど、大きな体躯は頑丈に見えた。
 一方で、にじみ出る孤独感に私は胸を突かれた。絵を描いても、売れた様子はない。ご子息の白土三平氏はすでに人気漫画家。「(息子に)世話になっています」とはにかむように話された。以来、86年に他界するまで月に一度は会っていた。

 プロレタリア美術は、徹底した弾圧によって短命に終わった。岡本の所属したグループ「造形」は28年から「プロレタリア美術大展覧会」で中心的な役割を果たすものの、32年には壊滅してしまったという。

 けれども岡本氏の孤独の源は、戦前より戦後の挫折にあったと思う。46年、岡本氏は矢部友衛氏、山上嘉吉氏ら「造形」の仲間と「現実会」を設立して再起をはかるが、わずか2年後に解散する。
 公にされていないその理由を、私に語ってくれたのは山上氏だ。あるとき共産党が「現実会」を影響下におこうと矢部氏を通じて働きかけてきた。それに岡本氏が反対して矢部氏と激しい論争になり「解散だ」と岡本氏が言ったという。
 芸術を政治に従属させる政治主義に、岡本氏はプロレタリア美術で懲りていた。同時に「過ちの責任は自分にある」と認めていた。私が尊敬したのはそんな人間性だ。生活苦や孤独に耐え、信念を貫く姿は立派だった。

 そうか、岡本唐貴は白土三平のお父さんだったのか。

 入江氏とは同じ76年、作品を通じて出会った。プロレタリア美術を経て、より前衛に向かった作家はいないかと探していたところ、知人に「昔プロレタリア美術をやっていたという変なおじいちゃんがいる」と個展開催中の画廊を知らされた。
 見て驚き、惹かれた。白セメントに使い終わった工業部品や日用品を組み合わせて作る人体や動物は、ユーモラスで異風、見たこともない造形だった。社会変革への衰えない意志が伝わってきた。

 岡本は国立美術館にも作品が収められているが、入江はほぼ無名だと門田さんは言う。そして続けて、

入江氏が戦後結成に参加した「前衛美術会」はもっと評価されるべきだ。当時のシュルレアリスムを超えた新しい造形と、同時に政治・社会の変革を求めた世界的に稀有な集団だった。
 最後までプロレタリア美術の気概を持ち続けた人でもあった。「労働者の作る物に何一つ無駄はない」と工業部品の再利用について話された。
 92年の死後、私は入江夫人から鎌倉にあるアトリエと作品一切を遺贈された。アトリエと庭に作品を展示し、2000年から2年に1度「彫刻家・入江比呂の家」と題して一般公開している。大ファンだった舞踏家の大野一雄氏が、訪ねてくださった。ただ、私も体力が衰えたので、来年は休み、次は11年春に開ければと思う。

 そして、「新しい世代の手で、一層プロレタリア美術の研究が進むことを期待している」と結んでいる。
 昨年5月私も「彫刻家・入江比呂の家」を訪ねた。昨年の5月4日の日記から。

湘南深沢の入江比呂の家へ行く。入江没後管理されている門田秀雄さんに誘われたもの。静かな田舎の環境の中にそれはあった。不思議な彫刻群。途中大野慶人さんが来られ3時間以上話を聞く。帰る前に近くの仏行寺の庭を門田さんに案内していただく。藤の花がきれいだった。

 この大野慶人さんは舞踏家大野一雄さんの息子さんだ。入江比呂の彫刻作品を撮影した。白セメントは風雨に弱いので普段は家の中に保管してあるが、会期中だけは庭に出している。それが入江比呂の意向だったという。シュールで不思議な彫刻だった。
 入江比呂の家が門田さんに遺贈されたのはその信頼がいかに深いものだったかを語っている。ただ、普段住むことのない家と庭の管理は想像以上に大変なものに違いない。家は古びて壊れていくのだ。門田さんの苦労がしのばれる。







 門田さんについては、門田秀雄氏による瀧口修造試論「批評も思想ぬきで成り立つ」(2007年8月3日)を紹介したことがある。