私の昨日の「スパイラルガーデンの菅木志雄展を見る」に、長谷見雄二さんがコメントを寄せてくれた。その内容が菅木志雄作品論としてすばらしく、コメント欄に埋もれさすのは勿体ないと思い、長谷見さんの許可を得てここに転載する。
以下、長谷見雄二さんの菅木志雄作品論。
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菅木志雄さんは、1970年代から雑誌等を通して、また1980年代のどこかからはかねこ・アート等で実作で見ていますが、その頃はほとんど売れてなかったと思います。90年代から、旧作も大きな展覧会に展示されるようになって見に行きましたが、何か違和感を感じました。要するに、現代系画廊の質素なスペースでは床のビニルタイルや何度も塗り直された壁とぶつかりあって生まれていた物質的な強さのようなものが、軟弱なホワイトキューブでは空回りしてしまっているということのようでした。20年位前に横浜美術館で大きな個展をされ、その時は展示室の床を全部剥がした状態でされましたが、企画した学芸員がそういうことを感じたのでは、と思いました。これは結構、よかったと思います。しかし、その頃から作品がホワイトキューブに馴染むように、素材感や荒々しさが消えてきて、以後の作品にはほとんど関心を持てなくなってしまいました。売れるようになり、値段が上がったのもその頃からではないでしょうか。この展示を見る人は、「あ、現代美術館で見た菅木志雄だ」と思って感動するのか、と思いました。作家の人生においては、仕方がないことかもしれませんが。
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写真を拝見していて、色々、感じさせられました。前のコメントと少しかぶりますが。。。。 菅さんの本領は、やはり、①作品自体は残らないインスタレーションで、それに次いで、②廃材やホームセンター等に並ぶありきたりの資材、使用済みの封筒等を使った作品ではないか、と改めて思いました。①のインスタレーションで使われるのも大体、廃材や建設資材などでした。これらの作品群は、普段、無意識に過ごしている世界をひっくり返すように見せてくれます。②は本来、①の構想や準備のためのドローイングのような役割だったのを、ギャラリーが、売るように仕掛けて作品として世の中に出たのが始まりでしょうが、菅さんは、時間をかけて色々に検討した跡も見られ、ドローイングの意義・良さが十分にあると思います。 菅作品としてギャラリーの個展に並ぶのは、小ぶりのインスタレーションと②でしたが、バブルの頃、もの派の展示等にあわせて外注して制作されたと思われるインスタレーション規模の立体作品が現れるようになりました。求められた作品規模からそうなったのでしょうが、単に立派な展示会場に作品があるというだけで、作品が置かれた環境を違ったものに見せるということはなく、違和感がありました。しかし、その後、これが、菅さんのインスタレーションや大作のスタンダードになっていったと思います。90年代には、作品のためにわざわざ調達されたと思われる材料で、ドローイングではなく最終的な「タブロー」として制作されたと思われる大きめの作品が現れるようになり、次第に小さい作品にもそれが及んできます。菅さんとしては、作家として真摯に取り組んできた経過なのでしょうが、菅さんが、初期段階から独創性を評価されていたのとは違うものになっており、菅さん本人も、もしかすると自分でも意識しないまま、変わってしまったと思います。国際的に評価されるようになってからは、消失した初期作品の再制作もされていますが、ひと目で再制作とわかります。材料が特注されているし、全体にわざとらしいのです。
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スパイラルに出ているのは、「『菅作品にふさわしい』材料を精選・調達して制作したタブロー」で、かつての「『どう扱って良いかわからない残り物の資材や廃材』をいじくり回しているうちに世界を見直すきっかけが見えてきた状態」とは違うものだと思います。
バブルの頃のインスタレーション規模の大きな作品って見たのは青山でしたが、場所がよくわからないと思ったら、現代美術におけるバブル期の象徴のひとつ、東高現代美術館でした。ゴージャスなスペースでしたが、バブル崩壊とともに閉館して跡形もありません。作品が何点だったか覚えていませんが、強化ガラスを大量に使った作品もあり、材料費に1点、500万円、制作費は別といわれていました。菅さんをスターに押し上げようという考えもあったかもしれませんが、これでは、真にsite-specificなものは出来ません。こういうことが、その後の菅さんの制作に悪く作用したような気がしています。菅さん、スミマセン_(._.)_