カート・ヴォネガット『国のない男』を読む

 カート・ヴォネガット『国のない男』(中公文庫)を読む。アメリカを代表するSF作家カート・ヴォネガットは2007年に84歳で亡くなった。本書は2005年に発行された最後のエッセイ。文庫の帯には「遺言」と書かれている。
 『猫のゆりかご』や『スローターハウス5』、『ローズウォーターさん、あなたに神のお恵みを』の作家ヴォネガットは最後に何を伝えたかったのか。

 「進化」なんてくそくらえ、というのがわたしの意見だ。人間というのは、何かの間違いなのだ。われわれは、この銀河系で唯一の生命あふれるすばらしい惑星をぼろぼろにしてしまった。それも、この100年ほどのお祭り騒ぎにも似た交通手段の発達によって。うちの政府がドラッグに戦いを挑んでいるって? ドラッグよりガソリンと戦え。わあれわれの破壊中毒こそが問題なのだ! 車にガソリンを入れて、時速150キロで走って、近所の犬をはねて、徹底的に大気を汚染していく。ホモ・サピエンス(知恵ある人)を自称しながら、なんでそんなめちゃくちゃをする? さ、この地球をぶっ壊そうぜ。だれか原子爆弾を持ってないか? そんなもの、いまはだれだって持ってるって。

アラブ人はばかだって?
アラビア数字を発明したのは彼らだ。
一度、ローマ数字で
長々しい割り算をやってみるがいい。・

 政府や企業やメディアや、宗教団体や慈善団体などが、どれほど堕落し、貪欲で、残酷なものになろうと、音楽はいつもすばらしい。
 もしわたしが死んだら、墓碑銘はこう刻んでほしい。


  彼にとって、神が存在することの証明は音楽ひとつで十分であった。

 ジョージ・W・ブッシュは自分のまわりに上流階級の劣等生を集めた。彼らは歴史も地理も知らず、自分が白人至上主義者だということをあえて隠そうともしない。クリスチャンとしても知られているが、何より恐ろしいことに、彼らはサイコパスだ。サイコパスというのはひとつの医学用語で、賢くて人に好印象を与えるものの、良心の欠如した連中を指す言葉だ。

 なんだかこの辺りは現在の日本政府のこととしても矛盾はないかのようだ。

 われわれが大切に守るべき合衆国憲法には、ひとつ、悲しむべき構造的欠陥があるらしい。どうすればその欠陥を直せるのか、わたしにはわからない。欠陥とはつまり、頭のイカレた人間しか大統領(プレジデント)になろうとしないということだ。これはハイスクールにもあてはまる。クラス委員(プレジデント)に立候補するのは、どう見ても頭のおかしい連中ばかりだ。

 チビで紫色の火星人の指導者は女性だった。彼女は地球人との別れに際して、ちっちゃなちっちゃな、かすれた声で、こう言った。アメリカ文化でどうしても火星人にわからないことがふたつあります。
「あれって、何が楽しいんですか?」火星の指導者は言った。「フェラチオとゴルフ」
 これは、わたしがこの5年ほど執筆中の本からの引用だ。

 絶版SF作家キルゴア・トラウトヴォネガットの作品に登場する架空のSF作家)との電話。

「きみは、この地球が宇宙の精神病院だと思わないか?」
「カート、私はかつて一度も、自分の意見なんか言ったことはないだろう?」
「われわれは、本来生命を育むようにできているこの地球を、原子力エネルギーと化学燃料を使った熱力学的ばか騒ぎによって破壊している。そしてそんなことはだれもが知っているのに、だれひとり気にしていない。つまり、みんな頭がおかしいということだ。いま地球の免疫システムはわれわれを排除しようとしていると思う。エイズや新種のインフルエンザや結核が流行っているのはそのせいじゃないか。わたし自身、地球はわれわれを排除すべきだと思う。人間ってのはじつに恐ろしい動物だ。ほら、あのバーバラ・ストライザンドがばかなことを歌っているだろう。『人を必要とする人は、世界でいちばん仕合せ』。これって、共食いの発想じゃないか。まあ人はたくさんいるけど。そう、地球はわれわれを排除しようとしている。だけど、手遅れじゃないかと思う」
 わたしは、じゃあ、と言って、電話を切ると、深く座り直して墓碑銘を書いた。
「よき地球よ――われわれはあなたを救うことができたのかもしれません。しかしわれわれはあまりに浅薄で怠惰でした」

 ヴォネガットがアーティストのシド・ソロモンに、いい絵と悪い絵の見分け方を聞いてみた。

「100万枚絵を見るんだな。そうすりゃ、間違えることはない」

 まったくこの通りだ。同感する。私は25年以上毎年2,000以上の個展を見てきた。ひとつの個展で15枚の絵を見たとすれば、すでに75万枚の絵を見たことになる。私も8年ほど後には、もういい絵と悪い絵を間違えることはなくなるだろう。