古井由吉『半自叙伝』を読む

 古井由吉『半自叙伝』(河出文庫)を読む。2部構成になっていて、前半が「半自叙伝」、後半が「創作ノート」となっている。前半の「半自叙伝」を読みながら、何か中途半端な自伝だなあと思ったが、後半に移ってその理由が分かった。前半の「半自叙伝」は、2012年に刊行された『古井由吉自選作品』全8巻の月報に連載されたもので、後半の「創作ノート」が、1982年から1983年にかけて刊行された『古井由吉作品』全7巻の月報に連載されたものだった。「創作ノート」を書いたのが45歳、「半自叙伝」は75歳のときに書いている。
 古井としては45歳のときの「創作ノート」で半生については書いているという意識から、「半自叙伝」では内容の重複を避けて、初めて読む者には中途半端な書き方だと思わせてしまったのだろう。何しろ、「半自叙伝」には芥川賞受賞のことさえ触れられていないのだから。
 重複を避けたと言っても30年の歳月が記憶を曖昧にもしているのだろう。同じようなエピソードを書いた部分を比べてみる。まず「創作ノート」から。東京の空襲で焼け出された古井は母姉と父親の実家がある岐阜県大垣市疎開したが、そこも焼け出されて母親の郷里の美濃町に移った。そこで敗戦を迎え、10月に東京に残っていた父親が迎えに来て八王子市へ帰ることになった。

 復員軍人で満員の夜行列車だった。朝方に東京駅へ着いて地下道を歩いていると丸の内の降車口のほうから、皮のジャンパーを着た「毛唐」がやってきた。素敵に長い足を運びながら、林檎を齧っていた。両手で口に押しつけるようにして喰っていた。その喰いさしを、私のすぐ前を行く男の子の手にひょいと渡して通り過ぎた。

 そして「半自叙伝」から、

 朝方に東京駅に着いて、都下の八王子市に身を寄せるために、中央線のホームに向かって長い連絡通路を行くうちに、閑散とした行く手から、ジャンパーを着たアメリカ兵がひとり長い脚を運んでやって来た。林檎を両手で口に押しつけるようにしてかじりながら歩いている。猿みたいな食べ方をしている、と子供が見ていると、目が合ったようで、近づきざまひょいと、かじりかけの林檎を子供の手に渡して行った。子供はつい受け取ってしまった林檎を、呆気にとられて眺めていた。捨てろと父親に言われて、ポトリと下に落とした。あれが私の戦後の始まりになる。

 この林檎を受け取った子供と「私」の関係が分からない。
 古井は小説の執筆に関して自信なさげな書き方をしている。それが不思議だった。むかし「杳子」とか「妻隠」を読んだ印象は、とにかく巧い作家だというものだったから。
 ただ、解説の佐々木中はこんなことを書いている。

 もしあなたが古井由吉の小説を読んだことがないなら、あなたは大変な瞬間に立ち会っているのかもしれない。あなたが手にしているこの本を書いた作家は、「現存する日本語圏最大最高の作家」であるからだ。

 原文の傍点を「 」に収めた。
 佐々木の評価はあまりに過剰であるが、古井が優れた作家であることに異議はない。


半自叙伝 (河出文庫)

半自叙伝 (河出文庫)