草森紳一『その先は永代橋』を読む

 草森紳一『その先は永代橋』(幻戯書房)を読む。ふたつのエッセイ「その先は永代橋」と「ベーコンの永代橋」を合わせたもの。前者は『東京人』に6回連載されて中断し、後者は『en-taxi』に12回連載し、草森の死によってやはり中断した。
「その先は永代橋」は隅田川にかかる永代橋にまつわる古今のエピソードを集めたもの。新撰組清河八郎永代橋の因縁から始めている。ついで映画監督の小津安二郎が深川に住んでいて、バスで永代橋を渡って帰る時いつも侘びしくなると書いているのはなぜか推測する。また江戸時代に永代橋が架けられた折りの利権やら何やらを探り、若いときの河竹黙阿弥が七代目団十郎に頼まれて、深い雪の朝永代橋を渡って台本を届けた話が語られる。そして黙阿弥の『小猿七之助』の上演の話に続き、志賀直哉の洲崎での遊びに変わっていく。志賀直哉が「正義派」を書きあげた話になって、唐突に中断している。ここまでが全体の4分の1を占めている。
 次が「ベーコンの永代橋」で、フランシス・ベーコンがテーマとなる。これが本書を読む目的だった。草森はベーコンを高く評価している。

 私がピカソより遙かに上位の頂へ置く20世紀最大の画家フランシス・ベーコンは、(後略)

 さて、どんなベーコン論が語られるのか。あちこち道草しながら、ベーコンがホモセクシュアルと書かれる。西村みゆきという作家のことが紹介される。昭和34年に中央公論女流新人賞を受賞した「針のない時計」がフォークナーの『サンクチュアリ』の盗作だとして授賞が取り消されたことがあった。なぜか私もこれを憶えている。その小説の一節から阿部定事件に転じて、かなり詳しくこの事件がたどられる。
 子供の寝小便の話からベーコンの絵になって、大僧正が便器にまたがっている作品とか、同性愛者の恋人がおしっこをしている作品の話になる。そこから今度は草森が吐血した話がえんえんと続く。これが自分の体験なので詳しく具体的で描写が生々しい。もしかすると結果的に、このエピソードが本書のヤマ場かもしれない。吐血は大量で、その後トイレへ行こうとするが足腰が動かないので部屋中に積まれている大量の蔵書の間を這っていくことになる。
 次に頼山陽の話になる。ベーコンの磔刑図から荒木飛呂彦の漫画ジョジョの「奇妙な冒険」に触れ、「(荒木の)その肉体(衣装を来ていても、肉を感じる)をフオルム化する才は、ベーコンを凌ぐとさえいえるほどだ」と書く。
 こんな調子で「叫び」からエイゼンシュテインの映画『戦艦ポチョムキン』が呼び出され、戦争中の東京大空襲のあと、堀田善衛が焼け跡となった深川で視察に来た昭和天皇を見かけた話が続き、ベーコンが直接には橋を描かなかったことを述べる。
 草森は漫画が好きで、昼飯を食べている料理屋の若い店長に勧められて井上雅彦の『SLAM DUNK』を読み始めたことを書きつづける。フィリップ・ソレルスのベーコン論にも少し触れるが、またあちこち道草を食っていて、なかなか本題に戻らない。
 そんな「いい加減な」書きぶりなのだが、300ページくらい書いたところで心不全で亡くなってしまう。寄り道しなくてベーコンのことに集中していれば、ここまで50ページもいらないだろう。ベーコン論として実質的にはほとんどないに等しい。
 草森は書いている。

 私の雑文の方法は、テーマを前にして頭に浮かんだものなら、なんでも深いところでつながりありとして、それらをつないでいくことである。

 高座の色物で漫談というのがある。ベーコンをテーマにとりとめなく脱線し続けながら語っている。まさに漫談だろう。本書は草森が亡くなって6年後の今年5月に単行本化された。引き受ける出版社がなかったのではないか。400ページ近いと分厚いこともあるが、販売数もあまり期待できないとて本体価格3,800円と高価なのだろう。

その先は永代橋

その先は永代橋