武田百合子『富士日記』全3巻を読む

 武田百合子富士日記』全3巻(中公文庫)を読む。

 武田泰淳は昭和38年に山梨県鳴沢村に500坪の土地を借り、そこに別荘=山荘を建てる。山荘名はいろいろ呼んでいたが、表札は武田山荘としていた。昭和39年の晩春あたりから東京と山梨を妻の百合子の運転する自家用車で往復する暮らしを始め、山荘に滞在したときに日記を付けるよう泰淳が提案し、百合子がメモのような日記を付け始めた。最初の頃は泰淳も小学生だった娘の花もときに書いたりしたが、99%は百合子が書いている。

 日記の内容は1日の献立、買い物メモ(いちいち価格が記録されていて、主婦だなあと思う)、あとは山荘での日常が書かれているが、山荘の工事や修理の人たちや、管理所や行きつけの商店の主人たちとの交流が綴られる。ペットの犬の行動やトラブル、後半ではペットの猫の行動、猫がしょっちゅう捕えてくるモグラや小鳥、兎、蛇などの事が語られる。

 最初ほんの僅か記された泰淳の風景描写などはさすが作家の文章と感心する。

 昭和47年7月26日と27日の日記、

 

 7月26日(火) 晴

 朝 ごはん、野菜五目炒め、卵焼、味噌汁(じゃがいも)

 昼 トーストパン、バター、ジャム、コンビーフ、スープ

 夜 ごはん、精進揚げ(なす、さつまいも、ピーマン、さくらえびのかきあげ、かぼちゃ)、佃煮。

 ポコ(犬の名前)食欲なし。草とスルメだけ食べる。

 ほたるぶくろ(つりがね草)咲きだす。庭の月見草のつぼみ大きくなる。主人は草刈りのとき、ほたるぶくろも一緒に刈りとってしまう。キライなのだという。全然きれいじゃない、陰気臭い、という。

 テレビで。甲府市内の集中豪雨の被害の特別放送をしている。積翠寺という所の国有林が濫伐で地盤がゆるみ、山くずれが起り、木が流れ、川(アイカワ)が氾濫した。今日、やっと道が開通した。今日は富士五湖では水死が多かった。

 本栖湖では自衛隊が作業中(バケツを洗っていた)に湖水に落ち、ショック死。バカだなあ。

 

 7月27日(水) 晴

 今日は一日、草を刈った。

 朝 ごはん、味噌汁、のり、卵、トマト。

 昼 ふかしパン、ピーナツバター、紅茶。

 夜 かにチャーハン、スープ(玉ねぎ)

  日記は昭和49年まで続く。47年頃より泰淳の体調が悪化したらしく山荘へ来る回数が減ってくる。糖尿病による脳血栓で右手が少し不自由になったようだ。百合子が口述筆記をする。そして昭和49年7月で日記は2年間中断する。39年7月から11年間書き続けた日記だった。

 昭和51年7月に日記が再開する。しかし、それも9月21日が最後になる。泰淳は肝臓がんになっていた。当時だから本人に告知はされなかった。泰淳は翌月10月5日、64歳で亡くなる。

 本書は田村俊子賞を受賞している。淡々と書かれる山荘での日々、大事なことは何も書かれないで、三食の献立、買い物メモ、山荘での修理や工事の話題などが主な記載なのだがこれがとても楽しい。ただ、田村俊子賞に値するかと思えば、泰淳の仲間たちが選考委員に加わっていたのではないかと邪推したくなる。

 文庫本の表紙は泰淳の絵で、素人のものだ。

 

 

富士日記(上) 新版 (中公文庫 (た15-10))

富士日記(上) 新版 (中公文庫 (た15-10))

 

 

 

富士日記(中)-新版 (中公文庫)

富士日記(中)-新版 (中公文庫)

 

 

 

富士日記(下)-新版 (中公文庫)

富士日記(下)-新版 (中公文庫)