金井美恵子「目白雑録4 日々のあれこれ」を読む

 金井美恵子朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」に連載しているエッセイをまとめた「目白雑録4 日々のあれこれ」(朝日新聞出版)を読む。「目白雑録」の4巻目だ。今回なぜかいつもの辛口毒舌がトーンダウンしているように思う。2009年4月号から2011年3月号までの連載を収録してあるが、話題が2010年のサッカーワールドカップに集中しているためか、楽しみにしていた恒例の辛口個人攻撃が少なかった。
 以前書いたことだが、本来匿名で書くような辛辣な評が金井美恵子の実名で綴られている。書かれた当事者は髪かきむしるくらいたまらないだろうが、批評が的外れとは言えず読者としては限りなく楽しい。
 例えば、齋藤孝について「戸塚ヨットスクール国語ヴァージョンに相田みつをが入っているといった類の齋藤」と言い、俵万智のことを「『顔を描きそこねた犬張子に口のあたりがそっくり』と姉の言う、国語審議会の委員もやっている女性歌人がいつものニタニタ笑いを浮べて」と評され、渡辺淳一については「目尻が下がっているのでこれまたニタニタ笑いに見えるベスト・セラー不倫小説と性差別的文章で知られる小説家」と酷評される。また、「何年も前に読んだ(島田雅彦)の小説に関して言えば、それは相当に稚なく惨たるものであった」と、さんざんだ。西尾幹二は「『仁義なき戦い』の、あの卑怯な親分の金子信雄(顔をゆがめて口をとがらせて薄笑いを浮べる演技)にそっくりで、(中略)強い者に迫られると、腰を抜かして、許してくれ、許してくれ、金、金なら、やるぞ、と叫んで女房にまで軽蔑される、広島の金子親分」とまで書かれている。
 今回それでも辛口の批評がないわけはなくて、北野武の絵と映画について、

花椿」7月号のアート・コラムにヴァルデマー・ヤヌスシャック/岩本正恵訳名義の文章で、パリのカルティエ財団美術館での北野武展の批評(?)が載っているのに気がついた。このページとしては例外的にページを3頁も余分に割いて紹介されている北野の絵は『アキレスと亀』でも見たことがあったようなもので、まあ、頭でっかちの素朴派というか強迫観念も頭のおかしいところも世界に対しての違和感も全くないアール・ブリュット風表現というか、そういうチョイト才気走った生真面目なおどけ、とでも言う他ないのだが、無邪気なヤヌスシャックは、並の63歳であれば成熟の徴を見せるであろうところがビートたけしはそうはならず、子供たちが見て喜んで会場を駆けまわるたけしの色とりどりの作品には、しかし、「暗さと怒り」「怒れる虚無主義ニヒリズム)−−現代社会への当惑や、従来の方法が消える恐怖−−がある」と言って納得するのである。『アキレスと亀』というのもそういう白けた映画ではあった。

 ワールドカップでの日本の熱狂が糞味噌に批判さるのは言うまでもない。『体脂肪計タニタの社員食堂−−500kcalのまんぷく定食』のメニューもこてんぱんに貶される。
 だが今回、附録として末尾に追加された「石井桃子展」へ寄稿したらしい石井桃子の思い出と、「銀座百点」に掲載された吉行淳之介の思い出が、金井にはめずらしく好意的で暖かい。金井の問題ではなく、石井や吉行の人柄なのだろう。とくに吉行のエピソードは本当にすばらしい。
 たまたま読みなおそうと思っている吉行淳之介「私の文学放浪」(講談社文芸文庫)の解説に目を通したら、長部日出雄も吉行のことを親しく回想していた。

 ほかの人もそうであったとおもうが、吉行さんと一緒にいる時間は、いつも楽しかった。忸怩たるところが多い人生を送った当方は、過去を懐かしむことがほとんどないのだけれど、吉行さんとすごせた時間だけは、とても懐かしい気がする。ひょっとするとあのころ、ぼくは吉行さんに恋をしていたのかもしれない。

 私の好きな吉行淳之介について金井美恵子が好意的に回想していることが嬉しかった。
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金井美恵子の毒舌(2007年4月26日)


日々のあれこれ 目白雑録4

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