松屋銀座の「ルパン三世展」を見る〜黒テントのこと〜ル・カレ


 松屋銀座の「ルパン三世展」を見た(8月22日まで)。「ルパン三世」はモンキー・パンチによって1967年『漫画アクション』に連載マンガとして始まった。その後1971年にアニメ化される。本展ではマンガの原画、アニメの設定画、セル画、フィギュア、秘蔵資料とやらが展示されている。いや、マンガの展覧会を企画するのは大変なことなんだと今回知った次第。原画以外におもしろく展示するものが少ないし、原画というのは小さいのだ。どうしても展示内容がこぢんまりしてしまうのを避けられない。
 私が「ルパン三世」を『漫画アクション』で読み始めたのは1970年代の始め頃だった。当時の「ルパン三世」は非常に過激な表現形式だった。コマ割りが独特で、コマとコマの飛躍が大きかった。仕事で疲れて帰宅したときなどはその飛躍についていくのが苦痛なくらい。マンガとは言え、考えないと理解できないのだった。
 しかし、そのうちに作者のモンキー・パンチが直接描く現場を離れたらしい。『漫画アクション』の表紙の絵が洗練され、コマ割りが平凡になり、飛躍がなくなって分かりやすくなった。それから「ルパン三世」のブレークが始まったのだと思う。分かりやすくなければ大衆は支持しない。大衆が支持しなければメジャーにはならない。
 これと近いことを演劇でも経験した。黒テントは以前は演劇センター68/71と言っていた。佐藤信が主催し脚本を書き演出をしていた。テーマは革命だった。「嗚呼鼠小僧次郎吉」シリーズや、昭和3部作「阿部定の犬」「キネマと怪人」「ブランキ殺し上海の春」という傑作があった。しかしソ連が崩壊し、革命への幻想が崩れ、佐藤信の芝居から政治性がなくなっていった。佐藤信に代わって斎藤晴彦が劇団を主宰し、一般向けのプログラムに変わっていった。政治的な志向が消えたとき、無私の団員を期待することはできないし、大きくなった劇団は団員を食べさせなければならないから当然のことなのだろう。
 同じ傾向を歩んだル・カレのことを思い出す。ソ連が崩壊したとき、東西冷戦下のスパイ合戦をテーマとするスパイ小説の傑作を書いていたル・カレは、トランプの札がシャッフルされたようなものです、新しいゲームが始められますと言っていたが、スパイ小説という枠組みを失ったル・カレはその後低迷している印象が強いのだ。念のため、ル・カレの代表作は、「寒い国から帰ったスパイ」「ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ」「スクールボーイ閣下」「スマイリーと仲間たち」「パーフェクト・スパイ」あたりだろうか。
 ルパン三世から、黒テント、そしてル・カレまで来てしまった。まあルパンで始まってル・カレで終わったのだから、一応了とされたい。