吉仲太造の技法

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 吉仲太造(1928―1985)という画家がいた。京都国立近代美術館のホームページによると、

 

 京都に生まれる。(中略)1952年に上京後は、岡本太郎の呼びかけで美術家の国際交流と連帯をめざしたアートクラブに参加、1955年には前衛作品を結集させ新たなうねりを生み出そうとしていた岡本の招きにより、二科会第九室に出品する。この時期の作品は、鮮明な原色、運動するリズミカルな構成などから、岡本の強い影響を受けていたことがわかる。1960年代初頭、新聞紙にボタン、カミソリの刃、ゴム版、釘等、雑多な日常のものによる抽象的構成のコラージュ作品に集中的に取り組む。その後は色鮮やかなフォトリアリズム風の油彩画の時期を経て、43歳でうつ病を発病して以後は、連作《病と偽薬》(1975年頃)に見られるように、無彩色のキャンバスにシルクスクリーンを用いて静物などの映像を浮かび上がらせる作品、そして無駄な要素をそぎ落として白い絵具を主とした作品へと移行していく。(後略)

 

 最後の白い絵具を主とした作品が上に掲載したもの。1999年に渋谷区立松濤美術館で回顧展が開かれた。そのとき、白い絵具の作品の技法について、学芸員の光田由里が図録に詳しく解説している。

 

 吉仲のこの連作は、彼が考案した特殊な方法で作られている。ペインティングナイフで、白い絵の具をカンバスに盛り、まず絵の具によるレリーフで形象を作る。それを完全に乾かした後、全体を黒く塗りつぶしてしまうのである。真っ黒につぶれた画面を、今度はオイルを含ませた布で少しずつぬぐいとっていく。すると、下層の白が再び現れ始める。ぬぐい切れない黒が、絵の具のレリーフの形に染み付き、消しきれなかった形が、奇跡のように浮かび上がって、絵画が現れる。

 このような独特の手続きは、消去の果てに絵を出現させることとでも呼べばよいだろうか。描かないで描くこと、無化の果てに結果的に絵画が現れるための、とても逆説的な方法を彼は考えたのであった。

 そうして出現するのは、ぎりぎりにそぎ落とされた、最小限の静物画である。日常的なありふれた物たちが記号的なまでに還元されたかたちでそこにある。

 

 15年ほど前に吉仲太造「明り」をここに紹介した。

https://mmpolo.hatenadiary.com/entry/20061223/1166860824