『証言・昭和の俳句 上』を読む

 先に読んだ下巻に続いて、『証言・昭和の俳句 上』(角川選書)を読む。黒田杏子が聞き手となって、著名な俳人たちにインタビューしてまとめたもの。取り上げられた俳人は、桂信子、鈴木六林男、草間時彦、金子兜太、成田千空、古館曹人の6人。

 六林男が内輪話を披露していて面白い。六林男の話、

後年、三鬼さんが亡くなった直後のことです。大阪へ来た折に高柳重信山口誓子さんを表敬訪問したとき、「三鬼さんが亡くなって、どんな感じですか」という意味のことを尋ねると、誓子が「一将功成りて万骨枯る」と言ったから、オレ、驚いたよ、あんな非情なことを言うんだって高柳重信が言っていました(笑)。将は誓子自身で、三鬼を万骨のなかに入れた。三鬼ですらこれですから、他の同人は微塵子ぐらいでしょう。

 

 山口誓子が「ホトトギス」をやめて「京大俳句」へ入る前に「かつらぎ」へ入ったことがあります。そのことを青畝さんにちょっとおたずねしたことがあるんです。

 誓子さんは「かつらぎ」をやめて「京大俳句」へ行かれましたね、あれはどうしてですかと聞いたら、「あの人は胸の中にソロバンを吊ってますから」と誓子さんのことを青畝さんが言っていました。ずっと見ていて、どこへ行ったらいいかという計算をしている。それで「かつらぎ」をやめて「京大俳句」へ行ったというわけです。

  金子兜太については他の俳人の倍近い分量を充てている。兜太は自信家で先輩たちへの批判も容赦ない。また兜太は「感覚したものをすぐ書く」のではなく、「他者としての自分、創作する自分」を別に設ける必要があるという。 

私は「造形俳句論」でもそのことを基本に置いて書きました。それまでの草田男や楸邨の俳句というのは直接反応だ。感覚したものをパッと書く、思ったことをスッと書くということでやってこられたが、そうじゃなくて、いっぺん「創る自分」が受け止めて、それを映像にまで構築して、暗喩をもとめて書くという状態にならなきゃいけないんじゃないかというので、私は「創る自分」というのを設定したのです。 

 兜太は赤城さかえの評論を評価する。そして、

 その赤城さかえがこういうことを言っているんです。「草田男というのは、虚子の弟子である。そして、虚子の有季定型客観写生を学んで育った人だが、ついには客観写生の枠を越えて、有季定型リアリズムというものを作り上げた人だ。さらに象徴性まで加味した。そして、自分の俳句を作った」と。

 これは非常にいい指摘だと思うし、私が俳句を作るときに現在ただいま役に立つのは、虚子が作ってくれた、少なくとも有季定型客観写生の世界、花鳥諷詠までは言わないが、これはいやでも応でも一つの下敷きだよ。

 

 

 だから、いまわれわれが、楸邨の句は別として、草田男に絞って見れば、草田男の中期の『火の島』から『来し方行方』までの句は、いまの俳句の作り手にとって非常に勉強になる世界じゃないか。虚子を踏まえて、きちんと守りながら虚子を出た世界。この世界がいちばんオーソドックスな書き方じゃないか。現代的だ。 

   私がほとんど知らない俳句の世界についてとてもとても参考になった。近代日本の俳人の系譜というような本はあるのだろうか。