半藤一利『其角と楽しむ江戸俳句』への批判

 先々月、ここに半藤一利『其角と楽しむ江戸俳句』(平凡社ライブラリー)を紹介したことがあった。読み終えて本を義父(娘の祖父94歳)に送ったところ、礼状をもらった。それをここに公開したい。

「其角と楽しむ江戸俳句」読了。「感想」を書かねば”お礼状”になりません。でも”わがまま”なもので「出すべきか出さざるべきか」ハムレット氏の気分です。端的に”超老人”の思いを書いた方が「正直」でよいかと……私は俳句を読む時、じっくりその句の中味を、景色とか作者の気持ちとかをそれこそ忖度して読むのです。何を言いたいのか、どんな景色か等々を一瞬でわかる句もあるし何のことやら全く理解できない句もあります。一利さんもこの本で作者の気持ちが判った時の悦びを書いています。
こういう「句の解説」も大事なんですが、こういう本が出回わるとこの楽しみを奪うことになります。
俳句は十七文字の文学というか、文芸です。小説のように読めばわかるという訳にはまいりません。”座の文芸”といわれますが、本来数人で気の合った者が一杯やりながら(私はお茶ですネ、嫌われました)ホメたりケナしたりして楽しむ遊びです。「第二芸術」とケナされる所以です。短かい「文」のなかに少し意味あり気なことが隠されている、それを発見して楽しむ遊びです。
その隠れているものを公開するのは邪道じゃないかと思います。超老人は「出版事業」ハンターイ。「文明反対」です。
半藤さんの「江戸俳句」は手品師が種明かしをしてしまった様な気分で、今風に云えば「読ませて貰いました」
昔漢文で「アシタニミチヲキカバユウベニ死ストモ可ナリ」というのを習いましたが、”アシタ”と”ユウベ”が解からなかったのが懐かしいです。
以上「其角と楽しむ江戸俳句」の読後感想です。御幼少の砌りこの感想文という奴にナヤマサレましたね。

 公開の許可を得るために電話すると、少し補足したいと言われた。上記の事柄は江戸俳句についてのことで、江戸俳句は遊びだった。隠されていることを座の参加者が見つけて楽しんだ。第二芸術と批判されたのも江戸俳句が遊びだったからだ。それを子規が改革して、近代俳句を遊びから芸術にしたのだと。
 私には知らないことばかりだったので、公開するのは意味があると考えたのだった。


半藤一利『其角と楽しむ江戸俳句』を読んで(2017年9月24日)