橋爪大三郎/大澤真幸 他『社会学講義』を読む

 橋爪大三郎大澤真幸 他『社会学講義』(ちくま新書)を読む。大学新入生や高校生、あるいは社会人に社会学とは何かを教えてくれる入門書という体裁だ。もともとは1993年に『わかりたいあなたのための社会学・入門』から抜粋して補筆し、第5章は新たに書き下ろしたとある。6つの章を6人が分担執筆いている。
 各章の題名と執筆者は、橋爪大三郎社会学概論」、大澤真幸理論社会学」、若林幹夫「都市社会学」、吉見俊哉「文化社会学」、野田潤「家族社会学」、佐藤郁哉「社会調査論」となる。
橋爪の概論は分かりやすい。社会学とはどんな学問ではないのかと問いを立て、政治学、経済学、法学との違いから社会学を定義付けていく。社会学とは人間と人間の「関係」を研究する学問だと。そしてコント、ジンメル、デュルケム、ウェーバーパーソンズ等々を紹介していく。
 大澤真幸理論社会学は難しい。ホッブズ問題とか、循環の構図とか、機能主義の限界、現象学的社会学の限界、ギデンズとブルデューハーバーマスのコミュニケーション論、ルーマンポストモダン論など、難しい単語が並ぶ。私はどのくらい分かったのか心もとない。
 若林幹夫の都市社会学は一転して分かりやすく面白くなってくる。具体的な例が紹介されて説明される。「有名なバベルの塔の話は、この都市で人々が神に対抗して巨大な塔を建てはじめ、神の怒りに触れて互いに言葉を通じさせることができなくなってしまったという話でした。これは、都市ができることによって、言葉の違う人間たちが相互に交通する場所が現れたということの比喩的な表現として理解することができます」。
 吉見俊哉の文化社会学では、盛り場や祝祭性の空間としての博覧会が語られる。
 野田潤の家族社会学が今回新たに書き下ろされた章で、そのためか一番興味深い。家族は自然物でなく、社会の連関物であるという。そして驚くべき例が紹介される。

 1950年代にヒマラヤ・チベット人のフィールドワークを行った人類学者の川喜多二郎は、あるエピソードを紹介する。滞在先のチベット人のあいだでは、個人間における一人対一人の婚姻ではなく、系譜の異なる親族集団間における一グループ対一グループの婚姻が制度的・慣習的に行われており、姉妹・伯母姪・母娘による夫の共有や、兄弟・伯父甥・父息子による妻の共有など、さまざまな形態の夫婦が日常的に観察された。しかしこれらのチベット人に「日本では同じ父方のいとこ同士でも結婚できる」という事実を伝えると、「日本はいったいなんというめちゃくちゃなところか」という反応が返ってくる。要は「自分のところのルールにあてはめてみると、相手は皆、犬畜生になってしまう」し、それは「お互いさま」なのである。

 佐藤郁哉の社会調査論もおもしろかった。社会学者を3つに分けている。文献や高い評価を受けている学者の理論を詳しく調べて解説したり補足したりする理論屋、現場へ出て調べる調査屋、この調査屋には2つあり、アンケートや質問票を集めるサーベイ屋と、調査対象の中に入って対象者と一緒に暮らしその体験をもとに報告をまとめるフィールドワーカーだという。佐藤はこのフィールドワーカーの立場から本稿を書いている。
 ただ元が1993年に発行された単行本から採っているので古びてしまっている部分も出てくる。補筆したとはいうものの、文化社会学の項で、電話がリビングルームから子ども部屋まで浸透していくことは云々と書かれていて、その後数行携帯端末について触れているが、ここなどちゃんと書き改めるべきだったと思う。
 難しそうな題名なのだが、案外おもしろかった。社会学とは何かを知ろうとする初学者には最適じゃないだろうか。



社会学講義 (ちくま新書)

社会学講義 (ちくま新書)