カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』を読む

 カルヴィーノ『まっぷたつの子爵』(岩波文庫)を読む。カルヴィーノは以前『冬の夜ひとりの旅人が』と『レ・コスミコミケ』を読んでいる。どちらも奇妙なほら話だった。
 本書の時代はむかしトルコ人との戦争が行われていたころで、メダルド子爵は敵の大砲の弾に当たってからだが二つに吹き飛ばされてしまう。半分ずつの身体に悪い心と良い心が分かれて宿り、悪い半分と良い半分が村人たちを混乱させる。
 悪いメダルド子爵が裁判をする。捕らえられた山賊の一味は縛り首の死刑、被害者側も密猟をしていたので同じく死刑、また密猟者の悪事に気づかなかった警備員たちも死刑を宣告された。それは20名にも達した。馬具商兼車大工の親方が立木のように枝分かれした絞首台を作った。それは巻き上げ機のハンドルひとつで縛り首の縄が一度に持ち上がるようにできていた。装置は20人を超える罪人を一度に処罰できたので、子爵は10匹の猫も一緒に有罪にして処刑した。
 こんな風に話が続いていく。小説が出版されたのが1952年だった。当時としてはあまりの荒唐無稽な内容に読者は驚いたことだろう。それから100年以上たった今では、あまりに単純な善悪の対比に残念ながらさほど楽しむことができなかった。ただ、訳者は書いている。

 まっぷたつに引き裂かれたメダルド子爵。それはこの物語が書かれた1951年(昭和26年)前後の世界と、その時代に苦しむ人間の姿にほかなりませんでした。そして苦しむ人間と世界の像とが17、8世紀のトルコ人キリスト教徒の世界にも当てはめられ、それが過去の人間の歴史を連綿と埋めつくしてきたとすれば、現在の私たちもまたその引き裂かれた魂を自分の内側にもっていないわけはありません。(……)私たちもまた《僕》と同じように、いまなお、責任と鬼火とに満ちたこの世界に残されているのです。

 ここで《僕》というのは、メダルド子爵の甥で、一人称で語っている主人公のことだ。


まっぷたつの子爵 (岩波文庫)

まっぷたつの子爵 (岩波文庫)