松本元・松沢哲郎『ぼくたちはこうして学者になった』を読む

 松本元・松沢哲郎『ぼくたちはこうして学者になった』(岩波現代文庫)を読む。副題が「脳・チンパンジー・人間」という脳科学者松本と霊長類学者松沢の対談集。二人の優れた学者が子供時代から小中高校を経てそれぞれ東大、京大に入り、自分の研究テーマを見つけて最先端の研究者になった経過を語っている。対談は23年前に行われ、その後松本は2003年に63歳で亡くなっている。
 本書について、村上陽一郎毎日新聞で紹介している(2019年11月24日付)。それを引く。

 一方は異色の物理学者、残念ながら既に物故。他方は、今や国宝級の霊長類研究の重鎮。今から四半世紀前に行われた対談の文庫版化である。構想的な側面から、細部に至るまで、どのページを披いても、無類に面白い、巻を措く能わず、とはこのことか。その面白さは何層にも及ぶ。
 普通の読み物としても。例えば何事にも(そのなかにはベーゴマも入る)傑出していた松本少年が、色々な機会に出会った優れた大人から、刺激を受け、医師を目指すか、コンピュータ関連に進むか。二者択一の選択に立たされる場面(結果的に脳型コンピュータの専門家になって、ある意味では「二者拓二」になるわけだが)。あるいは東大で、教養課程の一年生から、本郷の高橋秀俊研(日本で最初の本格的コンピュータ〈パラメトロン〉を大学院生だった天才後藤英一と開発した)に入り浸って仕事をしたり、磁性体研究に進んで助手になったとき、教授から、助手は教授の手伝いを、と言われ、反発する場面で、松沢さんが、あ、京大ではそれは全然違う、と切り込んで、東大と京大の文化の差異が期せずして鮮明に浮き上がる場面、など。類まれなお二人の個性と、それが切り結ぶ対話の面白さが、読者を惹きつける。(後略)

 まさに「どのページを披いても、無類に面白い、巻を措く能わず」の感想はその通りだ。題名が「ぼくたちはこうして学者になった」だから、若い読者が学者になるためのノウハウを得ようと思うかもしれない。しかし、それは難しい。何しろ二人とも優秀すぎて、凡人の参考にならないのだ。
 松沢は最初哲学を学ぼうと思っていた。しかし、大学の哲学の授業は期待していたものと全然違っていた。その中で野田又夫の授業はなるほどなと思ったという。野田又夫といえば、私も40年以上前に買っていてまだ読んでない本で、野田の『哲学の三つの伝統』(筑摩書房)を持っている。今度読んでみよう。
 本書は初めジャストシステムから『脳型コンピュータとチンパンジー学』として23年前に発行されたものの文庫化だという。こんな良い本が今まで文庫化せずに残っていたんだ。ほかにも文庫化されていないこのような例があるのかもしれない。