『三木清教養論集』を読む

 大澤聡・編『三木清教養論集』(講談社文芸文庫)を読む。1931年から1941年までの雑誌等に掲載したエッセイをまとめたもの。昭和6年から16年になる。満州事変開始から真珠湾攻撃の年までだ。
 本書は文庫オリジナルで、読書論、教養論、知性論の3部に分かれ、27編の短い論文が並んでいて、岩波書店刊の『三木清全集』を底本としたとある。時代を反映して、自由主義に対する締め付けに抵抗し、右翼的傾向に反論している。しかし軍部等の強い強圧が時代を制しており、そのことを前提としながらの苦しい主張になっている。その一端を引く。「知識階級と伝統の問題」より。

……西洋文化の輸入以来、なんら日本独特のものが生じていないとしても、永久にそうであるのほかないという運命にあると考えることはできぬ。我々の任務は今なお借衣の感ある西洋文化を身体化することであり、それが身体化されて真の伝統となる時、その基礎の上に日本独特のものが生れて来るであろう。民族とは遠い昔にあるのでなく、われわれの身体が、我々の現在が民族である。しかも民族は、身体的と云っても単に生物学的なものでなく、却って歴史的身体であり、歴史において形成されたものとして伝統的なものをもっている。日本的と云われる伝統は固より単に身体的なものでなく、そのうちにロゴス的なものを含んでいる。進んで考えるならば、日本的伝統と云われるものも支那文化や印度文化を身体化することによって作られたものである。伝統は謂わば身体或いはパトスのうちに沈んだ精神或いはロゴスであり、そこからして伝統は身体的なもの、民族的なものと一緒に見られ、かかるものとしての伝統とロゴス的なものとしての文化との乖離も考えられるのである。……

 本書は日中戦争〜太平洋戦争直前までのある意味特殊異常な時代を背景にして自由主義者三木清の必死の抗弁なのだ。そういう意味できわめて時事的な論文集となっている。だから現代これを読む動機は少ないと思う。せいぜい当時の三木清を研究しようとする学究くらいでではないか。
 そして当時最大級のインテリであった三木清だが、1945年3月警視庁に検挙される。「治安維持法違反容疑の共産党員高倉輝(タカクラ・テル)をかくまい逃亡させた容疑で、拘留処分により巣鴨の東京拘置所に送られる。その後、豊多摩刑務所に移送される。9月26日、拘置所内で獄死。」
 何ということだ! 1945年9月26日獄死だなんて、戦争が終わってすでに40日も経っていたのに! 当時日本の最高の知性のひとつが虚しく失われたのだ。自由に発言できた戦後にまで生かして三木の意見を聞きたかった。



三木清教養論集 (講談社文芸文庫)

三木清教養論集 (講談社文芸文庫)