菅原潤『京都学派』(講談社現代新書)を読む。
京都学派は、西田幾多郎が独自の思索で提示した哲学に、田辺元が西洋哲学史の全体を見渡した上での位置づけを試みたことによって成立した。具体的に言えば、西田がほぼ独自の道具立てで「純粋経験」「自覚」および「場所」の議論を展開したのに対し、田辺が哲学史の知識を駆使して、これらの議論が新プラトン主義やヘーゲル弁証法と近しいことを強調したことにより、京都学派の議論は西洋哲学史のコンテクストにはじめて置かれるようになったのだ。
西田、田辺の哲学を展開した後進を併せて京都学派と呼ぶが、
その後進の哲学者たちが誰かと言えば、(……)西谷啓治、高坂正顕、高山岩男、鈴木成高からなる京大四天王である。狭い意味での京都学派を彼ら4名と考える意見もある。
さらに、三木清、戸坂潤、梯明秀、船山信一、中井正一らの名前が挙げられる。
難解で知られる西田幾多郎の哲学ばかりでなく、西田、田辺とその後進の哲学者たちの哲学の理解、各学者間の関係や相違など複雑極まりないものを、菅原は手際よく分析してみせてくれる。私がここでそれを要約することなどとてもできないが、各人の見通しが良くなったのは事実だ。1990年代以降、三木清が東亜共同体論の旗振り役だということが明るみに出て評価を落としていることを初めて知った。
戦時中の有名な座談会「近代の超克」では鈴木成高が活発な発言をしようとしたものだったが、主導権を握ったのは小林秀雄だった。
戦後の新京都学派として三宅剛一と上山春平が挙げられる。上山との関係で柄谷行人に触れられ、京都学派批判で廣松渉の名前が挙がっている。
京都学派、難解なことには変わらないので読後いかにも未消化だということが自覚される。改めて読み直そう。
- 作者: 菅原潤
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2018/02/15
- メディア: 新書
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