小山清『日々の麺麭 風貌』を読む

 現代美術を初めて意識的に見たのは、1992年1月の神田の秋山画廊で行われた小山穂太郎展だった。あれからもう23年近くなる。朝日新聞の展評を見て行ったのだった。初めてだったから今でも強く印象に残っている。大きく伸ばしたモノクロ写真に土が塗り付けられていた。写真は藪を撮ったものだっただろうか。こんな変なのが現代美術なんだととても驚いた。
 以来、秋山画廊はよく見に行っていた。小山穂太郎展もそこで何度も見たはずだ。ある時、岩波書店のPR誌『図書』に誰かがエッセイを書いていて、今は忘れられた小山清という私小説作家がいたと、その生涯を簡単に紹介していた。小山清私小説を書いていて、太宰治の弟子だったと。売れない作家で生活が苦しく、奥さんが自殺してしまう。その3年後小山清も突然病気で亡くなったしまった。あとに幼い姉弟が残された。その弟が穂太郎といって画家になっていると書かれていた。
 その雑誌をすでに顔見知りとなっていた秋山画廊のオーナーである秋山さんに届けた。画家のお父さんが作家だったことは彼女も初耳だと言われた。
 小山清については、このように息子の画家というか美術家の後に知ったのだった。その時以来多少興味はもったものの、私小説そのものが好きではなかったので実際に手に取ることはなかった。
 私小説といえば田山花袋は何も読んだことがなかったし、その他ほとんど知らなかったが、葛西善蔵だけは伯母が戦前買った布製の表紙の改造文庫が実家にあって、一応1冊だけ読んではいた。デカダンな家庭生活が赤裸々に綴られていて、それ以上私小説を読もうとは思わなかった。
 長く忘れられていた小山清だが、ここ10年ほど少し見直されている風で、各社の文庫に入ったりしている。西村賢太の影響もあるのだろうか。最近講談社文芸文庫から『日々の麺麭・風貌』が発行された。それを機に初めて小山を読んで見た。自分の過去に題材をとった私小説的な短篇が9篇、それに太宰治の思い出と井伏鱒二について書かれたものが載っている。
 長く忘れられていたことが納得されるように、短篇はどれも完成までは今一歩という出来だった。中には芥川賞候補作というのもあるが、当時の芥川賞はレベルが低かったのではないかと思わせる水準だった。
 本書の中では、太宰のことを書いた「風貌――太宰治のこと」が比較的良く書けていた。全体に構成にも文体にも光るものがなかった。残念ながらそう評価せざるを得ない。と、偉そうに書きながら、さすが60年前の作品で、私には読めない漢字、意味の分からない言葉がいくつかあった。作家が存命なら、おまえ漢字をしっかり勉強してから批評しろと言われるかもしれない。
 息子はいま東京芸術大学の教授になっている。息子が親よりもずっと成功していることを知ったら、お父さんは嬉しいだろうな。悲惨な生涯をおくった小山清の人生だが、次世代も考慮にいれればハッピーエンドだろう。