木下長宏『ゴッホ〈自画像〉紀行』が興味深い

 木下長宏『ゴッホ〈自画像〉紀行』(中公新書)を読む。カラー図版が76点も入っていて、新書としては贅沢な作りだ。木下はゴッホの自画像をていねいに分析して、ゴッホの作品を読み解いていく。それは見事な方法だと思う。
 ゴッホは絵描きになろうとして絵を描き始めてから5年半は自画像に興味を示さなかった。そして、その後の4年間に40点以上の自画像を制作し、最後の2カ月はまったく自画像を描かなかった。
 木下は、ゴッホは自画像を通して絵画の技法を研究していたと簡単に言い切ればそういうことを明らかにした。色彩や筆触やその他諸々を。
「エピローグ」で木下は綴る。

「自分」の居場所がどこか判らない。「自分」を支えてくれるなにかを探そうとして「背景」を描く、サン・レミの「星月夜」に描いたうねる夜空の渦と小さく突っ立つ協会の尖塔の構図は、彼の病から立ち上がろうとする意志を描いた自画像に引き継がれている。この自画像の背景は「星月夜」の夜空そのものであり、自分の姿の背後には、小さな協会の尖塔が隠れている。いや、隠れていてほしいと祈りつつ、彼は自分の像を描いている。
 オーヴェルで描いた「烏の群れ飛ぶ麦畑」は、この二つの作品を継ぐ構図を内蔵している。ウルトラマリンの空に渦巻く白い雲、畑を二分するS字状の道は、「星月夜」やサン・レミの「自画像」の背景の渦の崩れた姿である。「ぼくは、生命を危険に晒して仕事をし、理性の半分を壊してしまった」という彼の歎きともとれる呟きが、この絵のなかにくぐもっている。
 この絵は、自己崩壊を描いた作品として、ヴィンセントの後の時代、20世紀の人間の「自己」対「世界」意識を先取りしている。彼は、この作品と一連のオーヴェル時代の絵画によって、彼自身の自画像以降の時代を生きただけでなく、人類の「自画像以降の時代」を予告したといってもいい。
 ヴァン・ゴッホは、こうして、短い生涯のなかで、人類の長い美術史の諸時代を駆け抜けた。

 見事で感動的ですらある総括だ。優れたゴッホ論だと思う。木下の前著『ミケランジェロ』(中公新書)ともども読みごたえのある著述だと思う。


木下長宏『ミケランジェロ』を読む(2014年8月24日)


カラー版 - ゴッホ〈自画像〉紀行 (中公新書)

カラー版 - ゴッホ〈自画像〉紀行 (中公新書)