大塚信一『反抗と祈りの日本画 中村正義の世界』を読む

 大塚信一『反抗と祈りの日本画 中村正義の世界』(集英社新書ヴィジュアル版)を読む。今から40年前に52歳で亡くなった画家の作品論を中心とした評伝。ヴィジュアル版の名の通りカラー図版が豊富に使われている。
 中村正義の評伝としてはすでに笹木繁男の『ドキュメント 時代と刺し違えた画家 中村正義の生涯』(「中村正義の生涯」出版委員会)がある。中村正義については笹木の本がモノグラフになっている。大塚も笹木の本を相当に参考にしている。ある意味ダイジェスト版に近いかもしれない。では大塚の本にどんな意味があるのか。
 笹木の本はA4版で本文二段組、380ページもある。普通の体裁の本にしたら700ページを超えるのではないか。当然定価も3,500円と高価だ。実質的に自費出版だから入手も困難だ。一般向けとはとても言えない。それに対して大塚の本は新書版、きわめてコンパクトにまとめている。それでいて内容は「正義の生涯」「正義はなぜ特異な舞妓像を描いたか」「なぜ多くの仏画と風景画を描いたか」「なぜ多数の自画像を含め顔の連作を描いたか」と4つの視点から正義の作品に迫っている。
 その視点のひとつ、正義の描いた特異な舞妓について、少しも舞妓が美しく描かれていないのだ。それはなぜなのか。

 正義の美しくない舞妓は、(土田)麦僊に代表される日本画壇における日本的美意識の美しい象徴としての舞妓、それに対するアンチテーゼとして描かれたのであった。この点にこそ正義の革命の意味がある。
 とするならば、なぜ正義が生涯にわたって舞妓像を描き続けたのか、その理由がわかる。つまり正義は、日本的美意識の虚妄性を死に至るまで糾弾し続けたのである。その意味で正義の舞妓は美しくない絵でなければならなかった。

 若くして日展の審査員にまで登った正義が、日展の不透明な審査に嫌気がさし、日展を脱退してその後人人展を作り、また日展に対抗して東京展を創設したこと、特異な舞妓像や独特の顔を描き続けたことの理由がよく分かった。カラー図版も120点を超えている。中村正義に関する手ごろな評伝といえるだろう。


笹木繁男「中村正義の生涯」が出版された!(2011年9月24日)