須藤靖がエッセイで『小林秀雄の哲学』に触れている

 東大の宇宙論の教授須藤靖は東京大学出版会のPR誌『UP』に「注文(ちゅうぶん)の多い雑文」というエッセイを不定期に連載している。これがとても面白い。今回は「書評という仕事」と題して、読売新聞で2年間書評委員を担当したことを書いている(『UP』12月号)。
 2年間の書評で取り上げた50冊の中から特に印象に残っている本を10冊紹介している。その中に高橋昌一郎小林秀雄の哲学』(朝日新書)が入っている。本書について須藤は書く。

高校時代に大学入試頻出と言われて小林秀雄の作品を数冊読んだが、レベルの高い思索家という印象だけが残っていた。20年ほど前にたまたま見つけた東京大学物理学教室の山内恭彦教授追悼文集に小林とのエピソードが書かれていて(7)仰天したことを思い出した。山内は小林と旧制中学の同級生だった関係で、ある出版社から「記録に残さない」ことを条件として、対談を行った。同席した編集者によれば、二人は小林が傾倒していたとされるベルグソンを中心に語り合っていたという。途中で手洗いに立った小林がなかなか帰って来ない。心配した編集者が様子を見に行くと、実は泣いていたらしい。翌日に、小林から手洗い場に義歯を忘れたという伝言があり、編集者が対談をした料亭までとりに行かされたというオチまでついている。それを読んだ私は、小林を泣かせた山内先生のすごさだけが頭に残っていた。この本を読んで、小林はある種の人格破綻者でもあったことを知ったのだが、この二人を巡るエピソードに興味を抱いた(8)。

 文中の(7)(8)は著者の注で、次のようにある。

(7)『絶学無憂 山内恭彦先生 遺稿と追悼』(非売品、1990年)村松武司「秋茫々」。
(8)小林秀雄を敬愛する知識人が読めば激怒しそうなことをさらっと書いてしまったが、無知な物理屋の感想であるから、決して真に受けないように。ところで中村昇『ベルグソン=時間と空間の哲学』(講談社、2010年)を読んだ限りでは、ベルグソンという人の相対論に関する理解は大丈夫か? と少し心配してしまった(この発言も決して真に受けないように。ちなみに、この著者は本人のベルグソンに対する評価とは無関係に、ベルグソンの文章に対する疑問もわりと正直に表明しており好感をもてる内容であった)。

 私はこの須藤が読売新聞に書いた書評で興味を持って、『小林秀雄の哲学』を読んだ。須藤の書評の一部と本書の感想はこちらに書いた。
高橋昌一郎『小林秀雄の哲学』を読む(2013年11月26日)
 この本はその後、小林の遺族からクレームがついて、出版社は改訂版を出している。そのこともこちらに書いた。
『小林秀雄の哲学』改訂版とは何か(2014年3月1日)
 須藤靖については、こちら。
須藤靖『主役はダーク』という怪しい本(2013年7月29日)
東大出版会の美女(2013年1月6日)
須藤靖のエッセイ「不ケータイという不見識」がおもしろい(2013年1月4日)
冷凍うどんを推薦する(2012年1月6日)