大岡昇平『証言その時々』(講談社学術文庫)を読む。今年の8月に第1刷が発行された新しい本だが、原本は筑摩書房から1987年に発行されている。その間どの出版社も文庫化しなかったのは、ある意味地味な本なのだろう。大岡の「あとがき」に「戦争について、折に触れて求められるままに書いた文章を集めた。蘆溝橋前夜から今日に到る、私の戦争に関する意見の、ほとんど全部である」と書かれている。
最初に1937年の『文学界』に掲載した3冊の書評から始まっている。武藤貞一の『戦争』と『日支事変と次に来るもの』、それにチャーチル『世界大戦』だ。そのあとは1950年の『文学界』3月号に掲載した「俘虜記(抄)」となる。この間に太平洋戦争があり、大岡はフィリピンでアメリカ軍の俘虜になっている。
ノーマン・メイラー『裸者と死者』の書評で、大岡は吉田満『軍艦大和』に触れている。
日本の戦記作家の戦争に対する眼は束縛されている。戦争を見ようとして、どうしても日本の軍部を見てしまう。戦争の悲惨が軍部の封建的愚劣の結果として現われる。これは戦争に関してあまり一般的たりえない観点である。
『軍艦大和』(吉田満)はこういう日本的軍人精神を肯定することにより、敗軍の事実に直面する視覚を得たが、同時に戦争そのものを見失ってしまった。これは戦争末期日本参謀本部が作戦を失ったのと同じ原理による。『軍艦大和』には批判というものがない。感傷に終始している。
吉田に対してかなり厳しいが、ノーマン・メイラーについては高く評価している。
大岡は戦争に関連することについてしばしば発言している。「紀元節復活反対同盟」への署名、フィリピンのルバング島に残っている日本人の救出、1960年の新安保条約批准、映画「ニュールンベルグ裁判」を見て、ベトナム戦争、8月15日、フィリピン戦跡訪問団に加わったこと、グァム島のジャングルに28年潜んでいた横井庄一氏のこと等々。
特に8月15日については、「二十年後」「(24度目の)八月一五日」「戦後三十年」「三十三年目の夏」「三十八年目の八月に」「戦後四十年を問う」と繰り返し書き続けている。
戦争や政治についての発言を集めていて、これは大岡昇平の本当に得意な分野ではない。しかし先の戦争に深くかかわりアメリカ軍の捕虜になり、戦後『俘虜記』『野火』『レイテ戦記』という重要な戦争文学を書いた作家の「私の戦争に関する意見のほとんど全部である」というエッセイ集だ。このような形にまとめられていることは十分意味があるだろう。ただ、このタイトルはいただけない。
- 作者: 大岡昇平
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2014/08/12
- メディア: 文庫
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