高橋昌一郎『小林秀雄の哲学』を読む

 高橋昌一郎小林秀雄の哲学』(朝日新書)を読む。新刊案内で本書の発行を知っても興味を惹かれなかった。それが読売新聞に須藤靖が書評を書いている(11月10日)のを読んで早速購入した。須藤は雑誌『UP』にエッセイを連載していて、それがとてもしゃれていて私はファンなのだ。肩書は東大の宇宙物理学者となっている。その書評は本書以上に面白かった。須藤は海外出張の時差ぼけ対策用の睡眠薬として退屈そうなタイトルの本を選んだのだったが、予想外の面白さに眠るどころか時差ぼけが一層進んでしまって困ったと書く。

 日本を代表する文芸批評家。そう聞けば必ずや高潔な人格者を想像するだろう。しかし本書を読めば、小林秀雄は稀有な才能と独善性を併せ持つ一種の人格破綻者だった事がわかる。
 大学浪人中の中原中也と暮らしていた長谷川泰子を略奪し同棲するのが東京帝大仏文科在学中。主任教授辰野隆の講義に欠席するもそれが終わる頃、講義室のドアを蹴って闖入し「おい、辰野、金貸せ!」と叫ぶ。銀座のバーの女給だった16才の坂本睦子を巡り再び中原と競う。
 明治大学講師の頃は、たびたび浅草の安待合から出勤。借金がかさめば姿をくらまして逃げる。創元社取締役時代は、会議で論争の末に編集者を殴り倒し2階の階段から落とした事もある。会議後の2次会では、居並ぶ編集者を1人ずつ名指しで批判し、文字通り泣くまで攻める。大の大人の編集者が大声で泣く事も珍しくなかったというから、パワハラそのものだ。(中略)
 小林が高潔で論理的な人格者どころか、それとは真逆な人間だった事を示す数多くの逸話には驚かされた。人間小林を冷静に見つめながらも、彼の文章の「魅力」と「哲学」を余すところなく紹介する。(後略)

 文中で触れられている坂本睦子が、大岡昇平『花影』の主人公のモデルになった女性だ。坂本睦子と関係したと目される文学者は、直木三十五菊池寛中原中也小林秀雄坂口安吾青山二郎河上徹太郎大岡昇平錚々たるメンバーだ。白洲昌子が「彼女が辿った道は、さながら昭和の文学史の観を呈する」と言っているという。
 須藤の書評にあるとおり、高橋は小林を神格化して語っていない。小林を尊敬し、かつ批判する高橋の態度がとても好もしかった。晩年の吉田秀和を引いて、吉田が小林のモーツァルト論に批判的だったことを書き、小林に厳しかった丸谷才一の小林批判も紹介している。高橋の引く丸谷のエッセイから、

 この数十年の日本の批評は、小林秀雄の悪影響がはなはだしかった。彼の、飛躍と逆説による散文詩的恫喝の方法が仰ぎ見られ、風潮を支配したからである。無邪気な批評家志望者たちはみな、彼のやうにおどしをかけるのはいい気持だらうなとあこがれた。さういふ形勢を可能にした条件はいろいろあるけれど、大ざつぱな精神論が好まれ、それはとかく道学的になりやすく、その反面、対象である作品の形式面や表現の細部を軽んじて、主題のことばかり大事にしたのが深刻に作用してゐるだらう。(丸谷才一『袖のボタン』)

 太平洋戦争に関する態度は、戦後加藤周一に強く批判される。戦後の座談会でも、小林は開き直った発言をして批判を受けている。その小林の発言、

……この大戦争は一部の人達の無智と野心から起ったか、それさえなければ、起らなかったか。どうも僕にはそんなお目出度い歴史観は持てないよ。僕は歴史の必然性というものをもっと恐ろしいものと考えている。僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか。

 小林秀雄ベルグソンを愛読していた。「哲学者の全集を読んだのはベルグソンだけです」とも発言しているという。ベルグソンを日本に紹介した河野与一は、ベルグソンは危険な思想家であると言っている。ベルグソンの方法は「体験と思索のけじめを気付かせない手法が、しかも最初から縦横に発揮されているために、疑念をさしはさませる縫目が殆ど見えていない」。高橋は、そのベルグソンの危険な方法が、まさに小林の二重構造の論理と重なり合うと指摘している。

……ベルグソンが真の実在を認識するための学問とみなすのは、次のような『哲学」である。
《事象を相対的に知る代りに絶対的に把握し、事象に対する観点を取る代りに事象の中に身を置き、分析をする代りにその直感を持ち、また延いてはあらゆる符号的言表、翻訳、表現に依らずに事象を把握する方法があるとすれば、哲学は正にそれである》(『哲学入門』)
 このベルグソンの「哲学」が、そのまま小林秀雄の『哲学」になっているのである。

 梅原猛小林秀雄を批判している。

 哲学者の梅原猛は、1979年に発表した『学問のすすめ』において、小林の文章は「学者や批評家の文章ではない」と批判した。梅原は、小林の言うように「対象に惚れなければ対象は分からない」として認識に「熱情」が必要であることを認める一方、認識には同時に「冷たい理性」が必要であり、《小林氏には対象を距離をもって眺めるというところがない。それは本当の学問でも批評でもない》(『学問のすすめ』)と述べている。
《小林氏にたいする私の批判は今も変わっていない。先頃書かれた氏の『本居宣長』も同じ方法で書かれている。本居宣長の思想が、それがどういう点で正しくて、どういう点がまちがっているか、氏はちっとも問おうとしない。そういう問題は、はじめから小林氏の眼中になく、ただ本居宣長の生きるポーズのようなものだけを問題にする(前掲書)。

 中野孝次は作家の立原正秋が亡くなったとき、東慶寺で行われた葬式の終わったあと、小林秀雄が遺族に挨拶しているところを見た。

小林さんは畳にぴたっと両手をついて、平蜘蛛のようにという言葉どおり、その手のあいだに頭を埋め、上体を畳にすりつけるようにしてそれはそれは丁重な挨拶をなさっっていた。葬儀は終ったのだから、そんな必要はなかったかもしれないのに、小林さんひとりはあらためてそうやって丁寧にお悔やみを言っていられたのである。むろん声は聞えないが、氏のその姿全体から真情溢れるなにかが感じられ、ぼくは胸を衝かれた。
 ある途方もない敬虔さ、あるいは優しさが、白髪の美しい小柄なその姿にあった。一瞬だが見たその姿が目に焼きつき、ああ、小林秀雄とはかかる人であったか、と思った。あとになっても小林秀雄を考えるとまずそのときのことが思いだされ、それが何にもまして多くのことをぼくに語りかけてくるふうなのである》(中野孝次『小林さんの大辞儀』)。

 この立原正秋には「たちはら まさあき」のルビが振られている。立原は正確には「せいしゅう」と読むのだが。
 小林秀雄に関する丸谷才一の批判が紹介されていた。丸谷の仲間・友人である鹿島茂が、現在雑誌『一冊の本』に小林秀雄批判を連載している。まとまって単行本になるのが楽しみだ。