中野重治と佐多稲子の愛について

 佐多稲子『夏の栞』は、中野重治の臨終に至るまでの佐多稲子の思いを綴っている。佐多はカフェの女給をしていたとき、中野に小説を書くよう勧められ、「キャラメル工場から」を書いて作家としてデビューした。佐多は中野の仲間の窪川鶴次郎と結婚し、佐多と窪川は中野に女優の原泉を世話している。佐多は中野たちの影響で当時の共産党に入党し、戦前の地下活動にも関係している。窪川とは早くに別れたが、政治運動や作家活動を通して中野とは生涯親しく交わっていた。戦後は一緒に共産党を除名もされている。
 中野の最後が近づいたとき、佐多は原泉とともに中野のベッドに寄り添っていた。その臨終の前の日のことを佐多は書き記す。

 仰向いている中野は目をつぶり、それが眠っているかとも見え、私は原さんに並んで掛けたまま、ものを云わなかった。卯女さん(長女)が病室とロビーを行き来している。松下さんと曽根さんもいるが、みんな病室では声を押えた。私もまた、目をつぶっている病人の顔を見ているだけであり、中野は私のそこにいることを知らない筈であった。病室は広い窓があって明るかったが、その光線を避けて病人の顔の周囲には、いつものように紐を張ってタオルが掛けてある。
 その紐の一端が何かのはずみで解け、中野の顔の上に垂れた。中野の顔に当たるのでもなかったが、真上に垂れ下がった紐だから、私は手をのばしてそれを上にあげた。眠っているかと見えた中野にその気配が感じられたらしい。
 「稲子さんかァ」
 と、弱く、ゆっくりと中野は声を発した。私の返事するまもなく、原さんがそれをとらえ、ぴしりと聞こえる調子で云った。
「あら、稲子さんってこと、どうしてわかるんだろう」
 それは以前に原さんがそう云ったことのある言葉とまったく同じ文句であった。中野の脚の冷めたいのを、さわってみて、と原さんが云い、私がそれに従ったとき、それが私だというのに中野が気づいた。そのとき原さんは今と同じことを云ったのである。原さんの、どうして、というのに私は答えようがない。私にもそれはわからないのだ。私としては、病人の神経の、弱っているようでいてどこかに残る敏感さか、とおもうしかなかった。今も、中野は原さんのそう云ったのを聞き取った。原さんの言葉に対して中野が答えたのである。
 「ああいうひとは、ほかに、いないもの」
 そう聞いた一瞬、私は竦(すく)んだ。それは私の胸で光りを発して聞えた。ゆっくりと云った中野のそれは原さんへの答えだが、ひとりでうなずく言葉とも聞え、私にとってそれは、大きな断定として聞えた。中野自身は、自分のその言葉を、云われた当人が聞いている、と知っていたであったろうか。その意識はないように見えた。私だけがその言葉を強烈に聞き取った。私は中野のそう云うのを自分に引きつけて、ほめ言葉と受け取ったのである。しかしそのほめ言葉にどう対応のできる今の状態ではなかった。中野はあるいは混濁した意識において意味もなくつぶやいたということかもしれない。私はわが胸の一方でそうもおもって引下がりながら、そのまま黙っていた。原さんもその瞬間、答えに詰まったようであり、そのまま何も云わなかった。
 私が今、自分へのほめ言葉と受け取った中野重治のその言葉をここに書くのには、神経への抵触を感じる。しかしまた書かないなら、それはつつしみではなく自分にとって偽善になるという感じをどうしようもない。大仰なひとりのみ込みを晒す結果ではあっても、私は書きとめておきたい。しかもそれは、中野から私が聞いた言葉として最後のものでもあったという理由が私を許す。会話とはならなかった。それは中野の半ば独り言であった。がそれは、自分に引きつけて受け取れば私について云われた、私の、誰からも云われたことのない最上の言葉であった。それも、長年のつきあいのうえで云われたのであれば、私がどうして書かずにいられよう。こんな私の感情自体も、この長いつきあいの間の、中野重治に対する私の立場をあらわしていようか。

 私はこの情景を指して、中野と佐多の間に愛があったと思う。しかし、講談社文芸文庫の『夏の栞』の解説で、山城むつみは二人は男と女として対していたのではないと主張する。
 ベッドに寝ている中野の顔の上に垂れた紐を佐多が取り除いたとき、中野が「稲子さんかァ」と言った。原泉がそれをとらえ、ぴしりと聞える調子で云った。「あら、稲子さんってこと、どうしてわかるんだろう」
 山城の解説を引く。

 ぴしりと聞こえる調子、というのが痛い。何か勘ぐりのようなものが働こうとする。(中略)
 宙吊りになった勘ぐりは、翌日、中野が息を引き取った直後にほどける。葬儀委員長を頼まれた佐多が「だってわたし、女ですよ」「女だっていいじゃないですか。『騾馬』の時代からのつきあいとして、当然、あなたしかいません」というやりとりをこう突き破る瞬間だ。「私は、中野さんとのつきあいで、自分の、女であるというのが残念でしょうがないんです。私が、女でなかったら、男だったら、もっとちがうつきあいが……」。
 これがこの夏の栞だ。佐多は中野に「一人の女」として対していたのではなかった。それはそのはずである。中野には最初から「稲子さん」は、女であるか男であるか以前に一人の小説家だったのだから。そんな佐多が中野を「おくる」べく書けば小説になるだろう。

 中野と佐多と二人がどこまで意識していたかは分からないが、二人の間には愛があったはずだ。人と人が関係したとき、そこには何らかの感情が生じる。感情が深ければ愛となり、浅ければ無関心となる。その間はアナログのグラデーションになっていて、ここからは友愛、その先は恋愛、性愛などと画然と区切られているわけではない。中野と佐多が互いに強い好意を抱いていたことに疑問はない。意識的に相手を欲していたということはないだろう。ここで欲していたというのは身体ではない。身体ではなく、人格、精神、存在、中野そのもの、佐多そのもので、それを意識的に欲してはいなかったかもしれない。しかし、意識は自己欺瞞する。意識は都合の悪いことは認めない。サルトル自己欺瞞を否定した。知っているからこそ隠すことができるのだと言った。二人とも相手がどんなに大事な存在かよく知っていたに違いない。自分にとってどんなにかけがいのない存在であることかを。しかし、それは認めてはいけないことのようだったらしい。
 だから、上に引用した佐多の台詞が出てきてしまうのだ。「私が、女でなかったら、男だったら」という言葉が。
 愛という言葉に特権的な位置を与えるべきではないと思っている。それはグラデーションの上の方の部分を指す言葉なのだ。愛という言葉をゆるやかにとらえれば、中野と佐多の間には愛が存在した。おそらくゆるやかにとらえなくても存在したといえるだろう。愛は偏在しているのだ。


夏の栞―中野重治をおくる― (講談社文芸文庫)

夏の栞―中野重治をおくる― (講談社文芸文庫)