車谷長吉の「文士の魂・文士の生魑魅(いきすだま)」を読む

 現存作家の中で一番の毒舌家といえば金井美恵子で、二番が車谷長吉ではないか。しかし彼らを見ていると毒舌家とは本音を隠さない人のように思える。
 車谷長吉の「文士の魂・文士の生魑魅」(新潮文庫)という読書案内も十分におもしろかった。いや、毒舌ばかりではないのだが。まず「愛の小説」という章で佐多稲子の「夏の栞」についてこう書かれる。

 中野重治が胆嚢癌が肝臓に転移して病院へ入院し、佐多がそれを見舞いに行った場面である。私は愛がどうの糸瓜がどうのというようなことは、口が裂けても言いたくないが、併しこれを愛と言わずして何と言えばいいのか。佐多稲子は、愛がどうの糸瓜がどうのというような言葉はおくびにも出さず、中野と自分との間に流れて来た愛の時間を語っているのである。これが文学における藝というものであろう。

 これは奇しくも私の感想と同じものだった。
佐多稲子「夏の栞」(2007年1月3日)

「意地の文学」という章では、車谷が東京の白山のアパートに住んだとき、そのアパートのある場所が森鴎外の「伊澤蘭軒」の蘭軒が住んでいた場所だと分かった。

 これは何かの縁だと思うて、会社の帰りに毎晩、豊島区立中央図書館へ通って、鴎外全集を全部読んだ。中で一番傑作だと思うたのが「阿部一族」だった。おそらくは近代日本の歴史小説の中で最高の傑作であろう。「阿部一族」の息詰まるような文体の緊密さに較べたら、司馬遼太郎歴史小説など風呂の中の屁みたいなものである。

「夢の小説」の章で、

 若田光一氏がアメリカ合衆国の宇宙飛行士になり、宇宙船エンデバー号に乗り込み、宇宙へ行って、帰還後、自慢たらたらの顔で記者会見をしていた。そのざまを、私はTVで見ていて、こういう手合いは国賊、非国民であると思うた。胸が悪くなるというか、虫酸が走ると言うか。地球上には飢えた人々が何百萬人もいるのに、アメリカが莫大な金を使って国威を見せびらかすのに、日本人でありながら、手を貸すというのは売国奴以外の何者でもなかろう。だいたい若田氏には罪悪感がない。

 どれもこれもおもしろい。車谷長吉のエッセイにつまらないものは一つもなかった。しかし、車谷の小説はまだ読んだことがないのだ。いや、特に車谷の小説が嫌いというのではなく、実は誰のでも小説があまり好きではないのだ。


文士の魂・文士の生魑魅 (新潮文庫)

文士の魂・文士の生魑魅 (新潮文庫)