高橋順子『夫・車谷長吉』を読む

 高橋順子『夫・車谷長吉』(文藝春秋)を読む。3年前に亡くなった作家車谷長吉の思い出を妻の詩人高橋順子が書いている。二人は50歳少し前に結婚した。車谷が高橋の詩を読み、絵手紙を送り続ける。その頃二人ともほとんど無名だった。高橋は自費出版の仕事を細々としていた。
 車谷の「鹽壺の匙」が雑誌『新潮』に載り、これを高橋のところから出版してほしいと、原稿と100万円を持ってきた。その後その作品が芸術選奨文部大臣新人賞を受賞した。高橋は原稿とお金を返し、作品は新潮社から出版された。のち三島由紀夫賞も受賞した。
 高橋がお祝いを送って交際が始まり、結婚することになった。車谷は奇矯の人である。この結婚大丈夫かと読み続ければ、やはり大変な生活が待っている。車谷は強迫神経症を患っていて、汚れを落とすため長時間手を洗い続ける。普段、月額4千円ほどの水道代が1万5千円にもなった。畳の縁を踏むと足の裏が汚れ、その足で部屋を歩くと部屋中が汚れると、神経質に畳を拭きまくる。動いてはいけないと言われたらじっとしていなくてはならない。布団を干しているときに動くなと言われ、雨が降ってきたのに布団を取り込めなくてびしょ濡れにさせたことがあった。
 のちに直木賞を受賞したおりにも、その狂乱の日々を実名入りでエッセイに書き、親しい友人たちから絶交を言い渡されてもいる。近所の人からもらった祝い金も実名と金額を晒している。親戚からも自分たちの恥ずかしいことを小説に書いてと、恨まれている。
 高橋はよくそれに耐えて日々を送っている。それにしても壮絶な結婚生活だ。やがて高橋の詩も高く評価され、読売文学賞や丸山豊記念現代詩賞などを受賞することになる。
 記述は詳細を極めるほど逐一記録している部分と、きわめて大雑把な記載とが混在している。これはなぜだろう。

 4月、新潟県柏崎。6月、私だけ宮城県中新田。7月、長吉だけ内灘。8月、姫路、坊勢島、箱根、飯岡、銚子。9月、大洗海岸。10月、姫路の灘まつり。12月、沼津、熱海。
 私も疲れていたが、長吉があまりに疲労困憊しているようなので、1日代わって北浦和のクリニックに薬をもらいに行った。待合室のうつろな雰囲気に気が滅入った。しかしここが長吉と私の原点であることを再確認しなければならなかった。

 2015年5月17日、散歩から帰ると自宅で長吉が倒れていた、救急隊が来て病院に搬送され、高度救命救急センターで死亡が確認された。生のイカを丸飲みした誤飲性窒息死だった。
 とてもすばらしい伝記だった。高橋が優れた書き手であることがよく分かる。読後傑作を読んだ後の満足感とともに一抹の寂寥感に捉われていた。高橋の悲哀が私に伝染していたのだった。
 

夫・車谷長吉

夫・車谷長吉