青澤隆明『現代のピアニスト30』(ちくま新書)を読む。1987年生まれのユジャ・ワンから1925年生まれのアルド・チッコリーニまで、現代活躍する30人のピアニストを取り上げている。日本人ピアニストとしては内田光子と清水和音の2人。
出版されてすぐ購入し、読み終わるまで半年以上かかってしまった。読みにくいのだ。青澤は1970年生まれ、高校在学中から音楽専門誌での執筆をはじめ、『レコード芸術』『音楽の友』『音楽現代』などに定期的に寄稿、と略歴にある。早熟な音楽評論家なのだろう。何が読みにくかったのか。文章が華麗でいわば四六駢儷体といったところなのだ。例を引いてみよう。
ポリーニについて、
厳格な統制意識とは一見逆説的に、しかし深いところでは順接的に、ポリーニは非常にロマンティックな心性の人間であるはずだ。現実主義者が理想主義の夢想家を下支えして、主情的な表現を外形上とらないだけである。感傷に潔癖である分だけ、ロマンティシズムは論理と響きの芯に充満する。一辺倒な感情だけではなく、造形そのものが芸術として歌いかけるように。
アファナシエフについて、
(……)演奏行為はあらゆるものを共犯にして、作品という過去の声を現在の時間と空間に発動させる取り組みだ。最良の場合には、演奏者もまた姿を消し、聴衆もその存在の現実を意識することはない。徹底した自我の無化が行われ、すべては固有名詞から離れていく。その瞬間を私たちは永遠と呼ぶが、それは永続しない。瞬間的にその存在を煌めかしたかと思うと、すぐにつかまえられないところへ去る。執拗な憧憬を残して。
ラドゥ・ルプーについて、
深く孤独の空気に馴染みながら、たとえばグールドが遠距離のパーソナルな関係を好んだのとは真逆に、ルプーはコンサートという匿名の人びとの森のなかで、ときにはそれを内に抱き、またはそれを取り囲むように、音楽と自己との対話を続けてきた。そうして、そう高齢とはいえないうちから、彼の存在は伝説的なピアニストの位置におかれた。
内田光子について、
音楽はただ流れていくものではなく、時間はただ漂泊するためだけのものではない。そこで、人は凝視し、立ち止まり、思考し、終始緊張を堪えながら、その音と音の関係を綿密に歩むことになる。内田光子にとってロマン主義の音楽作品とは、遠くへ行こうと求める幻想や夢想の飛翔を、強度の知的な統制で繋ぎとめながら、そこに深淵を見据える試みともとれる。遠くへの歌を夢みるさなかに、井戸を掘るような思索がはたして可能なのだろうか。それを同時に体現させるのが、彼女の強度の知力と統制であり、徹底して定位を保つ堅牢な視座なのだ。
アンスネスについて、
初期の録音から、1990年初めのショパンのソナタ集などを聴くと、ロマン主義やサロン風の優美さに埋没するのではなく、透明な光に照射され、さりげない輝きで颯爽と飛翔する瑞々しい感性の清冽な喜びがある。ワインではなく、蒸留水で浄化されたような、だが必要なところでは十分に情熱的で、ショパンの高貴さを自然と高く掲げている。水面に煌めく光のなかを歩くようなその演奏は、ときに怜悧な、しかし誰を傷つけるものではない清新さを伴って、鮮明な息吹を伝えたものだった。
いや、引用はもうやめよう。ただ次の項は間違いなので指摘しておく。
レオン・フライシャーは強靱で剛毅な不屈の精神で、ジステリアによる右手の故障と闘っている。
これは「ジステリア」ではなく、「ジストニー」または「ジストニア」が正しい。私も患者だからよく知っているのだ。
青澤の文章は難しい。本人は分かっているのだろうが、それを抽象的に語っている。すると、私たちには何が言いたいのかよく分からない。そんなことを思うのも、青柳いづみこのピアニスト論を知っているからだ。青柳は青澤と異なって、曲の分析、演奏の歴史、具体的な弾き方、指の扱い、演奏前のピアニストの心理、どれをとっても具体的で分かりやすく語っている。例えば、海老彰子のCD、ショパンの『練習曲集(全27曲)』について、青柳いづみこは書く。
作品25の12曲を通じて印象的なのは、技巧のための技巧に堕することなく、また人工的な解釈に走ることもなく、すべてが音楽的で自然だということだ。とりわけ耳をひくのはポリフォニー(多声部)の引き出し方である。旋律だけではなく、和声、リズムが一致協力して広義の対位法をかたちづくる。
たとえば第1番「エオリアン・ハープ」でも、右手のメロディと左手の内声を対峙させ、バスがそれをしっかり支える。第4番のように大胆な跳躍をくり返す難曲ですら、バスと和声、そこから派生するメロディを立体的に配し、自在に動かしている。第10番でも、オクターヴの間に見え隠れする内声がていねいにフレージングされる。旋律線と左手の内声が親密な対話をかわす中間部はとりわけ楽しい。(『我が偏愛のピアニスト』中公文庫)
アルゲリッチは、ノクターンなどカンティレーナの部分ではベルカント奏法を使う。ひとつの音を指先で保持しながら次の指の準備をし、音と音の間にすきまができないように慎重に音をつないでいく。こちらは「習った」ほうだ。しかし、速い音型を弾くときは、彼女のオリジナルの「ひっかき」奏法が全面に出てくる。「曲げた指」を使うポリーニは、速い音型でも一度根元の関節で止め、次の指につなぐ作業を行なうのだが、アルゲリッチは手前にひっかくので、動作を次々にくり出すことができる。おまけに彼女は、ある音節を弾くとき、腕を上から落として勢いをつけ、すべての音をまとめて弾いてしまう。この「ひっかく」「落とす」「まとめて弾く」で、彼女の異常なスピードが可能になるのだ。(『ピアニストが見たピアニスト』中公文庫)
青柳いづみこと比べたら青澤が可哀相かもしれない。しかし読みにくい本を読まされたのだ。少し苦言を呈しても良いだろう。

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