「生き方の不平等」と可能意識

 白波瀬佐和子「生き方の不平等」(岩波新書)は、現代日本の格差、不平等、貧困の問題を、子ども、若者、男女、高齢者のそれぞれに即して分析している。自分がその当事者であるにも関わらず、そのような問題を初めて考えさせられた。しかし、ここに興味深いことが書かれていたので、それを紹介する。

……人びとの意識をもって政策目標とするのは危険です。なぜなら、人びとの意識の背景にある制度や構造のメカニズムを明らかにせずに、なぜ人びとがその意識を持っているかを明らかにすることはできないからです。政策対象としてまず着目すべきところは人びとの意識ではなく、その背景、あるいはその基層にある諸制度であり、構造でなくてはならないのです。(p.133)

 これはフランスの哲学者リュシアン・ゴルドマンが提示する「可能意識」にとても近い考え方ではないか。

 ゴルドマンは現実意識と可能意識という2つの概念を提示し、集団の現状の意識=現実意識に対して、可能意識とは環境等の変化によってその集団が変化しうる意識とした。

 このことは以前、「ホンダのオートバイ開発、また可能意識という概念」で紹介したことがあった。詳しくはそれを読んでほしい。
「ホンダのオートバイ開発、また可能意識という概念」(2007年7月31日)


生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて (岩波新書)

生き方の不平等――お互いさまの社会に向けて (岩波新書)

全体性の社会学のために (1975年)

全体性の社会学のために (1975年)