角谷詩織『ギフテッドの子どもたち』を読む

 角谷詩織『ギフテッドの子どもたち』(集英社新書)を読む。ギフテッドとは普通天才児を指すと思われている。それに対して角谷詩織は、ギフテッド児は並外れた才能はあるけれど天才とは限らないという。むしろ90%は天才ではないと。(天才はギフテッドだが、ギフテッドが天才とは限らない)。そしてIQによりギフテッドをいくつかのカテゴリーに分けることがあるとして、IQが

115~129がマイルドリー・ギフテッド

130~144がモデレイトリー・ギフテッド

145~159がハイリー・ギフテッド

160~179がエクセプショナリー・ギフテッド

180~がプロファウンドリー・ギフテッド

とされる。

 IQ100が標準で、一般にはIQ130以上が天才と呼ばれることが多かった。私の友人でもモデレイトリー・ギフテッドが一人と、親戚にエクセプショナリー・ギフテッドが一人いる。また知人の画家に医者からギフテッドだと診断された女性がいる。

 角谷詩織はギフテッドの子どもたちが、教育現場で難しい立場に置かれていることを指摘している。しばしば発達障害を伴うこともあるという。

 私の知人の3人とも極めて高い並外れた才能を示しているが、けっこう生きづらい人生を送っているようにも見える。

 日本の教育制度では平等主義が強く、学習に困難のある子どもに支援をして他の子どもとの差を縮めることが優先される傾向がある。知的能力が高い子どもをさらに伸ばすという志向はないようだ。

 ギフテッド児の教育がなかなか難しいことがよく分かった。でも私の知人たちがきちんと教育されていたら、より社会的に有能な人材に育っていたのではなかったかと思う。何しろIQ170の知人は職場で半人前などと思われていたほどなのだった。