『ベニスに死す』と『眠れる美女』

 マリオ・バルガス・ジョサのエッセイ集『嘘から出たまこと』(現代企画室)には、20世紀に発表された世界の文学35冊が紹介されている。そこにトーマス・マン『ベニスに死す』が取り上げられている。

 文士が美少年に恋をした、あるいは情欲に燃え立った、などという単純な話ではない。アッシェンバッハの身に起こるのはもっと深い出来事であり、彼の人生観、生活観、文化観、芸術観、すべてが変わるのである。俄に思想は後退し、感性と情念がそれに取って代わると、その圧倒的な存在感を前に精神は肉体のコントロールを失ってその僕となる。新たな道徳的価値を付与された官能と本能的衝動は、文明を守るため抑制されるべき動物性ではなくなり、人を小さな神へと変える「崇高な酩酊」の源泉となる。生は「形式」ではなく、煮えたぎった無秩序と化して流れ出す。

 それで、圓子修平・訳『ベニスに死す』(集英社文庫)を読んでみた。この訳文は古くて、これから読む人にはお勧めしかねる。内容はジョサのエッセイにあるように、老いた作家が14歳の美少年の魅力に惹かれて精神が崩壊しつつある物語だ。破局を迎えるまえに作家は流行していたコレラに感染して死んでしまう。美少年の魅力に引き込まれながら、しかし作家は遠くから眺めているだけで、ハンバート・ハンバートのように手を出したわけではない。
 老年の作家が魅力的な若者に性的に強く惹かれて不道徳の世界へ入り込むという図式は、日本の官能的な作家である川端康成の『眠れる美女』を思い出す。新潮文庫の『眠れる美女』には、そのほか「片腕」も収録されている。どちらも妖しい作品だ。
 特に『眠れる美女』では、睡眠薬で深い眠りについている全裸の若い娘に老人が添い寝するというものだ。ただ添い寝するだけで性的な行動はとらないとされている。他の老人たち同様に主人公の江口老人も「男」の機能を失っていると見なされている。実は江口は67歳で男としては現役である。しかし手を出すことはしない。江口はその秘密の家に何度も通うのだが、毎回違った娘が用意される。あるとき知人の男だったが、娘に添い寝していた老人が急死したことがあった。遺体は別の旅館に運ばれて秘密の家と娘のことは隠された。
 最後に江口が二人の娘と添い寝をしている時に、一人の子が急死する。うろたえる江口に対して、その家の女が言う。「お客さまは余計な御気遣いをなさらないで、ゆっくりおやすみになっていて下さい。娘ももう一人おりますでしょう。」
 老人の官能とデカダンスを描いて、『眠れる美女』は『ベニスに死す』にはるかに勝っているだろう。

ベニスに死す (集英社文庫)

ベニスに死す (集英社文庫)

ヴェニスに死す (岩波文庫)

ヴェニスに死す (岩波文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

眠れる美女 (新潮文庫)

嘘から出たまこと (セルバンテス賞コレクション)

嘘から出たまこと (セルバンテス賞コレクション)