幸田正典『魚にも自分がわかる』を読む

 幸田正典『魚にも自分がわかる』(ちくま新書)を読む。副題が「動物認知研究の最先端」。ホンソメワケベラという小さな熱帯魚が「鏡に映った自分の姿を見て、それが自分だとわかる」という嘘のような驚くべき研究。

 長い間、鏡に映る像を見て自己認知できるのは人間だけだとされていた。それが1970年にゴードン・ギャラップがチンパンジーにも鏡像自己認知できることを証明した。これは動物が自己認識すること、自己意識をもつことを意味する。これは画期的な研究だった。

 ついで21世紀に入り、イルカ、ゾウ、カササギが自分の鏡像が自分だと自己認識できることが確認された。

 ホンソメワケベラは雄が大きな縄張りを持ち、その中に自分より小さな雌を囲ってハレムを形成している。サイズの異なる雌間にはサイズ依存の順位関係がある。そこで幸田は、ハレムの中で限られた数の個体が長期間、頻繁に出会っており、互いに相手を個体識別しているのは間違いないと考えた。

 幸田はホンソメ(ワケベラ)の喉に寄生虫に似たマークをつけた。鏡を見たホンソメは砂底に舞い降りて砂でのどを擦ったのだ。寄生虫を砂で擦り落そうとしているように見える。その後、さらに鏡に喉を映して寄生虫が取れたかどうか確認しているように見える。

 これを発表すると、世界の霊長類学者や動物心理学者から激しい批判がなされた。従来、ヒトを頂点に、上から霊長類・他の哺乳類・鳥類・爬虫類・両生類・そして最も底辺に魚類を配する知性の階層を想定している研究者にとって、魚が自分を認識できるという話など到底受け入れられないだろう、と幸田は書く。彼らの批判に対して幸田はさらに実験を重ねていく。

 ホンソメがお互いに顔で自分や他個体を認識していることを実験から明らかにする。幸田は、自己認知は魚の段階で備わっていて、それが霊長類まで続いている、という。

 

(……)自己の身体感覚や身体意識が、連綿と続いてきた脊椎動物の進化の途上で途切れることは考えにくい。この身体感覚も魚の段階で既に始まっており、その子孫の陸上脊椎動物にも広く共通しているのだろう。おそらく、身体感覚に関わる「身体地図」の神経回路は基本的に共通だろう。つまり、身体感覚の自己意識(Public Self-awareness)は脊椎動物を通してその起源は同じではないかと思われる。自己顔写真の実験で明らかにされた内面的自己意識(Private Self-awareness)とともに、魚もヒトも自己意識の起源は同じではないか、というのが、私が考えている「自己意識相同仮説」である。

 

 何という驚くべき結論ではないか。とても面白い読書だった。自然科学の研究エッセイで極めて面白かったと言えるのは、岸本良一『ウンカ海を渡る』(中央公論社)に次いで2冊目だ。どちらも定説に挑んで新しい学説を主張している。