芥川喜好『バラックの神たちへ』を読む

 芥川喜好『バラックの神たちへ』(深夜叢書社)を読む。これはポーラ文化研究所の機関誌『季刊is』に1986年から3年間連載していたもの。14人の日本人画家たちを取り上げている。このころから芥川は読売新聞日曜版の1面に現存の画家を取り上げて紹介する仕事を長年続けている。新聞では多くの読者を対象にしているので、分かりやすい文章が求められる。

 本書はポーラ文化研究所の雑誌に連載ということで、芥川によれば「毎回の締め切りに追われつつ、それでも一語一語、詩の言葉を刻むように作品と作家を書きたいという(儚い)願いだけは、最後まで消えなかったように思う。/いささか調子の強い、ケレン味の抜けない部分が多いのも、いま考えてみればそのせいである」。

 そのようにケレン味たっぷりで、それが本書の魅力となっている。実際かなり難解な文章も多い。

 入江波光「彼岸」について、

 

f:id:mmpolo:20210305141126p:plain

入江波光「彼岸」

 描かれたものはひとつの自然だった。かろうじて言えるのは、描いたあなたがその自然のなかに入りこんでいなかったということだ。閑寂な自然をまじまじと見つめ、それをまばらに描く自分の行為をもどこかでまじまじと見ているという、二重構造をもつ意識の皮膜がはっきりとそこには感じられる。むしろそうした皮膜のはたらきによって、あなたの目は常に自然の本質的な閑寂さしか見ていなかったというほうが、当たっているかもしれない。

 その絵は、徹して何かを描くという世界ではなく、たとえば自然の断面にどう触れるか、あるいは現世という時空とどう触れあうかという、その触れ方や接し方の探求にも似た世界だった。もう少し言うなら、それは何か対象を描こうとした絵ではなく、対象が存在する世界への違和感やその前で凝然と佇んでしまう己れの意識をもてあまし、そこを突き出ようとして対象を口実にしたような絵なのである。

 

 

 西郷孤月「台湾風景」について、

 

……最晩年の作と伝えられる『台湾風景』は、その筆が少しも荒廃していなかったことを語っている。微かに移る雲と風のそよぎ、そのなかに包まれる人間のわずかな生の気配は、画家の目そのものの澄みわたった静謐を表している。この疼くような静けさこそ、あなたの見ていた視界の深さを測る唯一の手がかりとして残されたのである。

 

 弧月は大観、春草の仲間で、橋本雅邦の娘と結婚した。だが3年後離縁され、以来日本から台湾を放浪して台湾で発病し38歳で没した。私のカミさんの母親が旧姓西郷で、孤月の一族だった。